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飛鳥時代の仏像4:広隆寺の半跏思惟像



(広隆寺の半跏思惟像:木像、像高123.5cm)

7世紀後半の白鳳時代には弥勒菩薩の半跏思惟像が数多く作られるが、その模範あるいは先駆けとなったのが京都太秦の広隆寺にある半跏思惟像である。これは日本書紀が記するところの、新羅からの貢物が葛野の秦寺に安置された仏像だとすれば、623(推古31)年に新羅から到来したものだということになる。

赤松の一木彫で、像の高さは約123センチメートル。赤松を仏像の材料に使った例は、日本では他にないところとか、ソウルの徳壽宮美術館にそれによく似た金銅の弥勒像があることなどから、新羅からの舶来品だとの推測には十分な根拠があるといえる。

弥勒像は簡素な形の宝冠を抱き、両脚を半跏の形に組み合わせて台座に座り、右肘を組んだ足で支えている。そのため幾分か前かがみの姿勢になっている。かすかに微笑をたたえた顔はいかにも思惟しているということを感じさせる。


(法隆寺弥勒菩薩像、銅像、像高41.5cm、国立博物館蔵)

飛鳥時代の半跏思惟像としてはほかに、法隆寺献納御物中の弥勒菩薩像がある。これは、台座の下縁の記載から606(丙寅)年の制作とされており、また全体の印象が朝鮮のものと似ているため、朝鮮渡来のものと推測されている。

ともあれ飛鳥時代には朝鮮半島からいくつもの弥勒菩薩半跏思惟像が移入され、白鳳時代にはそれらをもとにして、日本製の半跏思惟像が多く作られるようになったのではないか、というふうに推測される。半跏思惟思惟像は、奈良時代以降には殆ど作られることがなくなったので、仏像の歴史上特異な存在であったということができよう。






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