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天平時代前期の仏像7:東大寺戒壇院の四天王像 |
(東大寺戒壇院の四天王像、右持国天、左増長天、どちらも塑像で約163cm) 四天王は仏法の守護神として、わが国では仏教伝来の当初から深い信仰を集めてきた。四天王そのものを本尊とした四天王寺が、仏教寺院としては法隆寺と並んで最も古い寺院であるのを始め、西大寺など数多くの寺に本尊や脇侍として祀られてきた。仏像彫刻として最もポピュラーなものであるし、したがって各時代を通じて芸術的に優れた作品にも恵まれている。そんな四天王像の中でも、東大寺戒壇院の四天王像は、とりわけ芸術的香気に富んだものと言える。 戒壇院にはもともと銅像の四天王が安置されていたが、それらは古い時代に滅びたという。現在ある四天王像は、江戸時代に戒壇院が再興されたときに、他の堂から移されてきた。いずれも天平時代の前期に作られた塑像である。 戒壇院の堂内中央に多宝塔が安置され、四天王はそれを守護するような形で、壇の四隅に配されている。東南には持国天、西南には増長天、北西には広目天、北東には多聞天である。 持国天はただひとり兜をかぶり、手には剣を握って、目をかっと見開き、口をきりっと結び、邪鬼を踏みしめながら、いかにも守護者らしい力強さをみなぎらせている。一方増長天の方は、右手で槍を持ち、左手を腰に当て、口を大きく開きながら、誰もここを通さんぞと叫んでいるかのようである。 (右広目天約163cm、左多聞天約162cm) 持国天と増長天とが非常に動的な印象を与えるのに対して、広目天と多聞天は静的な印象を与える。広目天は筆と巻物を持ち、多聞天は宝刀を掲げているが、どちらも威嚇的な表情ではなく、遠くを見つめるような顔つきだ。 このように、動と静、力と知恵を対照的に表現しているのは、四天王が四躯一体の相のもとでとらえられていたことの現れだろう。 |
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