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天平時代前期の仏像8:新薬師寺の十二神将像



(新薬師寺金堂内:薬師如来と十二神将)

新薬師寺は、天平の末年に光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈って造営されたものであり、当初は伽藍の連なる壮大な寺院であったらしい。しかし、780(宝亀十一)年の雷火によって伽藍の多くを失い、962(応和二)年の台風により、金堂も失った。現存する金堂は、当初は他の目的で建てられたものを、後になって金堂としたものである。

現金堂内にある薬師如来像は、平安時代初期の一木彫刻で、光背の化仏とあわせて七仏薬師を構成する。薬師如来を取り巻く十二神将は、新薬師寺の近くにあった岩淵寺から移したものである。十二神将は薬師如来の眷属ということになっているので、新たな薬師如来の造営にともなって、格式の高いこの寺に移されたのだと思われる。なお、薬師如来としては、日光・月光両菩薩が脇侍として控えるのが普通であり、実際この金堂内にもかつては両脇侍があったというが、事情があって民間に売り払われてしまったという。


(迷企羅大将、塑像、166.7cm)

十二神将のうち、宮毘羅大将をのぞく十一体が天平時代の作である。これらを作ったのは、東大寺戒壇院の四天王と同じく東大寺造営司であり、したがって作風に共通するところが認められる。もっとも大きな特徴は、各像に静と動の対照と調和を込めている点であり、動的な像としては迷企羅大将と伐折羅大将、静的な像としては波夷羅大将、魔虎羅大将などがあげられる。

十二の神将像は、十二の方角にそれぞれ置かれ、また、藤原時代になると、それぞれの頭上の標識として十二支の動物が施されるようにもなったが、天平時代の作であるこれらの十二神将には、そうした標識はまだ登場していない。






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