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浄瑠璃寺:平安時代後期の寺院建築 |
(浄瑠璃寺本堂) 浄瑠璃寺は、平安時代に多く作られた九体阿弥陀堂のうち、現存する唯一のものである。九体阿弥陀と言うのは、西方浄土の九つの相を示すとされ(九品仏)、それを収めた阿弥陀堂を九体阿弥陀堂と呼んだ。藤原道長が造営した法成寺無量寿院はその典型とされた。 浄瑠璃寺の中尊は来迎印を結び、他の八体は定印を結んで、静かに並列安座している。 浄瑠璃寺はもともと薬師仏を本尊としていたが、嘉承2年(1107)に新堂が立てられ、それが保元2年(1157)に池の西岸に移されたと「縁起」に記載されている。それがいまの本堂だと思われる。 浄瑠璃寺は浄土様式の典型ともいえる。すなわち、池を掘り、それに面して本堂を配置し、寺域全体が極楽浄土の再現のごとく工夫されている。 建物は寄棟造りで、正面11間、側面4間。当初は桧皮葺であったが、江戸時代に瓦葺に改められた。 (浄瑠璃寺三重塔) 『浄瑠璃寺流記事』に,治承2年(1178)京都の一条大宮から移建したとある。そもそもいつごろ建てられたのかは明らかでない。特徴は、初層に心柱がないこと。初層の天井から上に立てられている。 |
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