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蒙古襲来絵詞:鎌倉時代の絵巻物



(蒙古襲来絵詞:文永の役、縦約40cm、宮内庁蔵)

蒙古襲来絵詞は、文永十一年(1274)、弘安四年(1281)の二度にわたる蒙古軍襲来に対する日本軍の防戦ぶりを描いたものである。この戦闘に参加した肥後の国の御家人竹崎季長が、自分の軍功を中心に描かせたものであり、別名を「竹崎季長絵詞」ともいう。戦闘の状況や、蒙古及び日本軍の服装の細部まで事細かく描かれており、歴史上の資料としても貴重な価値を持っている。

文永の役を描いた上巻、弘安の役を描いた下巻とも、それぞれ戦闘が終って間もなく作られたと思われるが、最終的な形になったのは、正応六年(1293)で、完成後肥後の国甲佐神社に奉納された。その後、北九州の豪族大矢野氏の所有を経て、明治時代に皇室に寄贈された。その伝来の過程で多くの損傷を蒙り、欠落や順序の乱れなども生じたと考えられる。

上の絵は、上巻から文永の役における竹崎季長の奮闘ぶりを描いたものである。弓を構えた大勢の蒙古兵に向かって、馬に跨った季長が突進していく様子が描かれている。季長はこうした絵を通じて、鎌倉幕府に自分の戦功を訴え、所領や恩賞を賜った。


(蒙古襲来絵詞:弘安の役、出陣する季長の部隊、縦39.7cm)

これは弘安の役において、蒙古軍を迎え撃つため、季長が一門を率いて出陣する場面を描いたもの。季長の顔のところに「季長」の書き入れがあるが、これは後世加えられたもの。また、背後に控えているのは菊池武房の軍勢である。


(蒙古襲来絵詞:弘安の役、蒙古船を襲う季長の一門)

これは船で蒙古船に近づき、蒙古兵に襲い掛かろうとする季長一門を描く。日本船がカヌーに毛の生えたような粗末な造りであるのに対して、蒙古船の方は、一応は竜骨を供えた堅固な造りであることが伺われる。







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