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毘沙門天像:湛慶




湛慶の作品として今日伝わっているものは、蓮華王院の諸像のほか、高知の雪蹊寺にある毘沙門天像及び吉祥天、善膩師童子の諸像である。毘沙門天像の足部の墨書銘によれば、これら三像は法院湛慶によって造立されたとなっている。湛慶が法院になったのは建暦三年(1213)のことだが、それから建長三年(1256)に没するまでの何時の時点でこれらを作ったのか、くわしくは判らない。

湛慶の作品として今日伝わっているものは、蓮華王院の諸像のほか、高知の雪蹊寺にある毘沙門天像及び吉祥天、善膩師童子の諸像である。毘沙門天像の足部の墨書銘によれば、これら三像は法院湛慶によって造立されたとなっている。湛慶が法院になったのは建暦三年(1213)のことだが、それから建長三年(1256)に没するまでの何時の時点でこれらを作ったのか、くわしくは判らない。

この像を安置する高知の雪蹊寺は、嘉禄元年(1225年)に高福寺として創建されたという。この像もその創建にあわせて造立されたという見方もある。

写実を基調とし、父運慶ゆずりの力強さを感じさせるが、それとともに、おだやかな優雅さも込められている。そこが湛慶の湛慶らしさと言えよう。

檜材の寄木造りで、眼は玉眼である。今日、右腕と左手首の部分が失われている。

(木造寄木造り 像高168.5cm 高知雪蹊寺)






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