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山水図屏風:与謝蕪村の世界



(山水図屏風左隻 絖本図屏風 六曲一双 162.5×369.6cm)

蕪村は遅咲きの才能で、絵師として独り立するのは四十代半ばの頃である。彼は、特別の流派について絵を修行したことがなく、基本的には独学で絵の技術を習得した。手本としたのは主に中国の絵画であり、とりわけ南宋画の影響を強く受けた。彼が独り立した頃の絵には、南宋画風の淡彩画が多い。そのほかにも、明の絵画なども取り入れ、客の注文に応じて描き分けた。

この作品は、山水図屏風。宝暦十三年、蕪村馬歯四十八のときの作品である。この頃、彼を応援する人々が蕪村のために屛風講を設けて、高価な絖本の襖に思う存分筆を揮わせてくれた。出来上がった作品は、講の人々が手分けして買ってくれた。絵師として経済的な自立を目指していた蕪村にとっては、非常にありがたかったに違いない。

南宋画風の山水画である。蕪村はこうした絵のモチーフを、日本の風景の実際の姿をもとに描いたのではなく、明から伝わった版本をモデルにしたという。若い頃には、そうしたモデルをそのままに再現したものが殆どだったが、この頃になると、モデルを思うように再配置して、自分なりのイメージづくりをするようになった。それだけ技量が上達したのである。


(山水図屏風右隻)

これは同図屛風の右隻。遠景を薄く、前景を濃い色で描いているところは、蕪村の技量が高まった現れと言える。画面半ばの下のほうに人家が描き加えてあるが、このように人間の息吹を絵に取り入れるのは、蕪村の変わらぬ特徴である。

署名は、左隻に「東成謝長庚造於碧雲堂中」、右隻に「癸未夏四月写於碧雲堂中謝長庚」とある。東成は蕪村の生地(大阪郊外)である。







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