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二代目沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊:写楽 |
(二代目沢村淀五郎の川つら法眼と坂東善次の鬼佐渡坊) 寛政六年の河原崎座の舞台には、切狂言として「義経千本桜」がかかった。この絵は、そのなかから、吉野蔵王堂の評定場面の一齣を描いたもの。評定とは、吉野に逃げ込んできた義経を匿うべきか否かを論じるもので、右手の法眼は匿うべきだと主張し、左手の鬼佐渡坊は捉えるべきだと主張する。その義経一行は、法眼の計らいですでに匿われているのである。 義経千本桜と言えば、義経本人や静御前などが前面に出てくるわけだが、写楽はそうした主役ではなく、端役のこの二人を描いた。それには、主役級を描くと重複に陥るという配慮が働いたのであろう。 なお、現在の歌舞伎舞台では、吉野蔵王堂の場面は省かれて、静午前と忠信の道行からいきなり川連館の場面に移行する。 (四代目小佐川常代) 小佐川常代は、この当時の実力派の女形で、派手なところはないが、存在感のる演技ぶりだったという。寛政六年五月の河原崎座の舞台には、一平の姉おさん、及び義経千本桜の静御前の役で出ていたが、この絵は、そのどちらとも特定できない。 写楽は、あるいは、役柄を度外視して、小笹本人を描きたかったのかもしれない。そんな事情があるのか、この絵には、他の絵に見られるような誇張がない。 |
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