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豊国と写楽 |
(歌川豊国、三代目瀬川菊之丞のお石) 東洲斎写楽の活躍した頃と前後して、歌川豊国も多くの役者絵を描いている。当然それらには、同じ役者も含まれる。ところが、同じ役者を描いていても、写楽と豊国とではかなり描き方が違う。ここでは、その一例を紹介しよう。 上の絵は、寛政八年四月の桐座の舞台「江戸花赤穂塩釜」から、大星由良之助の妻お石を演じた三代目瀬川菊之丞の大判錦絵である。これを写楽が寛政六年五月の都座の舞台に取材した三代目瀬川菊之丞の絵と比較すると、違いは一目瞭然である。 (三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おしず) 写楽の画の中の瀬川菊之丞は、四十四歳と言う年齢に相応しく、くたびれた印象を与える。そこには、厚化粧で塗りつぶしてはいても老いは隠せぬものだという画家の意思のようなものが感じとれる。それに対して豊国の菊之丞は、写楽が描いた時より更に二年経っていたにもかかわらず、若々しい姿で描かれている。 二人の間のこの相違は、役者というものに対する態度の違いに根差している。当時の歌舞伎役者と言えば、庶民にとってのアイドル的存在だった。だから彼らを描いた役者絵は、今日でいうブロマイドのような意義を持たされていた。ブロマイドというのは、役者のイメージをもっとも美しい形で表現するのが使命と言える。それと同じように当時の役者絵も、役者を美しく描くことが主流であった。豊国は、この主流のやり方に従ったのに対して、写楽のほうは、そうした流れに盲従しなかったのである。 |
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