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柳島日没、亀戸梅屋敷:小林清親の東京名所図



(柳島日没)

柳島は、横十間川と北十間川の合流地点をさす。地形的には島ではないが、北側と東側を川で仕切られているために、島のような雰囲気を湛えていた。そこに柳が生えていたことから、柳島と呼ばれるようになったわけだ。この柳は落語の柳派の語源ともなった。この地の一角に法性寺という寺があるが、そこがかつては柳派の落語の拠点だったのである。

「柳島日没」と題したこの図柄は、二つの川が合流するところを描いている。日は建物の背後に沈んでいるようなので、そちらを西と仮定すると。手前が横十間川で、その右手奥に流れるのが北十間川ということになる。本所深川の掘割は、東西方向を縦、南北方向を横と言った。江戸城に横を向けているからである。

この絵を見ると、二つの川が合流するところに、家が川に臨むようにして建っているが、いまではここは道路空間に変わっている。この家は結構からして仕舞屋ではない。釣宿か何かだろう。


(亀戸梅屋敷)

亀戸梅屋敷は、柳島の法性寺の近くにあった。徳川時代から明治の初期にかけての東京の梅の名所で、広重の錦絵にも取り上げられ、かの子規も、根岸の里の病床からわざわざ人力車を飛ばして見物に来たくらいだ。

この屋敷は現存しないが、この絵を見る限りは、梅の花が大きく咲き広がり、まるで桜を見るようである。それを宛てこんで多くの人も繰り出している。やはり人気のある観光スポットだったのだろう。







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