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堀切花菖蒲、柳原夜雨:小林清親の東京名所図



(堀切花菖蒲 明治十二年)

堀切の菖蒲園は、徳川時代に地元の百姓小高伊左衛門が各地から集めた菖蒲を植えたことが始まりといわれ、徳川時代から現在に至るまで、東京の菖蒲の名所として知られる。広重の浮世絵でも「堀切の花菖蒲」として取り上げられている。

いまでいうと、京成堀切菖蒲園駅で下りて、住宅地を十分ほど歩いた先にある。筆者も六月の花盛りに訪れたことがあるが、あまり広くない敷地に、さまざまな名称の変り種が、咲き広がっていた。関東界隈ではいまでも、佐原の水生植物園とならんで、菖蒲の名所である。

これはその花盛りの菖蒲園を描いたもの。左手に小高い岡が見えるが。これはちょっと誇張が過ぎると思う。いまでは菖蒲園は、住宅地に囲まれているが、明治の初期にはこのように、田園の中にあったことが伺われる。


(柳原夜雨 明治十四年)

柳原は、現在では足立区に編入されて千住の一部のような形だが、かつては堀切などと一体の地だった。それが荒川放水路の掘削によって、本体と切離され、千住のほうに寄り添ってしまったので、足立区に編入されたわけだ。

東京の場合、新しい河川や道路の開通によって、旧来の地名が影響を受けることは少ないのだが、荒川放水路は巨大すぎて、町の連続性を引き裂いてしまったのである。これによって、柳原は、かつての葛飾郡から足立郡へと名義替えをすることともなった。

この図柄は、雨のそぼ降る夜の柳原を描いたもの。雨に濡れた道を、傘をさした人々が歩いてゆく。右手には人家が見え、左手には人力車が描かれているから、けっこう繁華な土地だったことがうかがわれる。柳の葉が見えているのは、この地名のもととなった柳だろう。







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