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元柳橋両国遠景、萬代橋朝日出:小林清親の東京名所図



(元柳橋両国遠景 明治十二年)

今でいう東日本橋地区にかつて薬研堀という水路があって、それが隅田川に流れ落ちる地点に柳橋という橋が架かっていた。その後、神田川の河口に同じ名前の柳橋が架けられてので、こちらは元柳橋と呼ばれるようになった。

新しい柳橋の周辺は、徳川時代の末には江戸有数の遊郭地帯に発展し、その殷賑な様子は、柳北先生の「柳橋新誌」に紹介されているとおりである。これに対して元柳橋のほうは、堅気な商人達の行き交う場所であった。

これは元柳橋越しに、隅田川の対岸にある両国方面を臨んだ眺めである。柳橋は靄にかすんでうっすらと見える。隅田川の向こう岸は靄につつまれてほとんど何も見えない。遠景の曖々たる風情をバックにして、川岸の柳の木がくっきりと見える。


(萬代橋朝日出)

萬代橋は、今ある万世橋の前身である。明治六年に、筋違橋門の石材を使って作られた石造の橋である。アーチが神田川の水に映って眼鏡のような形に見えるので、当時の人々はこれを「めがね橋」と呼んだ。

現在の万世橋周辺は秋葉原電気街が広がり、日本でも有数の繁華街になっているが、明治の初年には、この図柄にあるような閑散とした所だったわけである。







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