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桜田弁慶堀原、虎乃門夕景:小林清親の東京名所図 |
(桜田弁慶堀原 明治十三年) 弁慶堀は、皇居の掘割の延長で、今の日比谷公園の東北隅から溜池方面を結んでいた。赤坂見附に残っている弁慶橋あたりの堀はその名残である。 この図柄は、弁慶堀の皇居寄り、今の日比谷公園付近ではないかと思われる。右手に見えるのは桜田門あたりで、画面の中心に伸びている松は桜田の松と呼ばれたものだろう。この松は松崎慊堂の日記にも出てくるし、荷風散人の随筆にも出てくる。江戸名所のひとつだった。 広い敷地で兵士たちが訓練をしている。昔の地図で見ると、今の日比谷公園から法務省にかけての一帯は陸軍練兵場として使われていた。東京の都心で軍事訓練するのは、近衛師団か第一師団の兵隊たちだろうと思われる。この頃の第一師団は、西南戦争における官軍勝利で、士気が上がっていたはずだ。 (虎乃門夕景 明治十三年) 虎ノ門も弁慶堀に面していた。江戸城から見て寅の方角にあたることから虎ノ門と名づけられたのだろう。門の内側には、大名の上屋敷が並んでいた。 これは明治初年の虎ノ門の様子。弁慶堀は描かれているが、虎ノ門の建造物は描かれていない。そのかわりに洋風の建築物が描かれているが、これが何の建物なのかはよくわからない。(その後読者からの指摘で、旧工部大学校の校舎だとわかった) |
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