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亀井戸藤、本所御蔵橋:小林清親の東京名所図



(亀井戸藤 明治十四年)

亀戸天神は十七世紀の中ごろの寛文年間に、菅公の子孫によって創建された。以後関東地方における天神信仰の一大拠点として栄えてきた。いまでも湯島の天神様と並んで、学問の神様として、特に受験生を中心に、広い信仰を集めている。

天神といえば、普通は梅がつきものだが、亀戸の天神様は藤で有名だった。本堂の前の池のまわりに大規模な藤棚が作られて、そこに季節ともなれば藤の花が垂れ下がって、壮大な眺めを呈する。その眺めを求めて、子規をはじめ大勢の文人たちが訪れた。広重もここの梅を浮世絵で描き残している。

これは神社の入口付近から藤棚を眺め渡したもの。藤の花と並んで、天神池とそこにかかる太鼓橋が優雅に描かれている。


(本所御蔵橋)

古地図で見ると、両国にある今の安田庭園の北側一帯は御竹蔵になっていて、その敷地の中に掘割が食い込んでいる。その掘割の河口に架けられていたのが本所御蔵橋だ。本所の御竹蔵に架かる橋だから、本所御蔵橋と呼ばれたのであろう。先述した本所千本杭は、この橋のやや下流にあった。

図柄からは、川に架けられた橋の印象は強く伝わってこないが、それは川幅が狭すぎたせいだろう。橋の右手に林が見えるが、これは御竹蔵の敷地内だと思われる。この御竹蔵は後に軍隊の被服廠になり、現在では震災祈念堂が立っている。







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