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金閣寺:日本の寺院庭園




金閣寺は、足利三代将軍義光が、応永五年(1398)に造営した北山殿の一部である。京都の北山に設けられた北山殿は、護摩堂、懺法堂、紫宸殿、公卿間、舎利殿、天鏡閣、泉殿、看雪亭などの立ち並んだ広大な邸宅であったが、そのうち舎利殿が現在に伝わる金閣寺である。そのほかの建物は、義光の死後、その子義持によってことごとく破壊されてしまった。その理由ははっきりしないが、父親への嫉妬だとする説もある。

金閣寺は別名を鹿苑寺とも言う。金閣寺の名称は、その建物が金箔で覆われていることから来ている。この建物は、一階を放水院、二階を潮音堂、三階を究竟頂と称し、金箔は二階及び三階部分に施されている。

一階は貴族の邸宅様式寝殿造り、二階は武家の住居様式書院造り、三階は禅宗寺院の様式といった具合に、一つの建物の中に、三つの建築様式を混在させた折衷的なものである。

1950年に、放火によって消失した。放火したのは22歳の学僧林養賢であった。放火の理由を聞かれた林養賢は、その美しさが妬ましかったと答えた。

五年後の1955年に再興された。再興にあたっては、明治時代に作られた実測図を活用し、徳川時代に改修された部分を創建時にもどすなど、より原型に近づけたとされる。



金閣寺庭園のポイントは鏡湖池にある。この池は一階の寝殿様式の延長に位置するものだろうと思われるが、寝殿様式を厳密には取り入れていない。







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