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智積院:日本の寺院庭園




智積院は、もともと紀州根来寺の塔頭であったが、秀吉に全山焼き払われて一時存亡の危機に立たされた。だが、秀吉の死後、慶長6年(1601年)に、玄宥が家康から東山に土地を与えられて再興した。さらに、豊臣氏が滅亡した元和元年(1615年)に、秀吉の創建した祥雲禅寺をも与えられた。今日智積院に伝わる庭園は、この祥雲禅寺にあったもので、したがって秀吉の意向を幾分か反映している。この寺が保蔵している長谷川等伯父子の障壁画は、祥雲禅寺からの遺産である。

庭は秀吉の時代に作られた後、徳川時代になって改修されているが、基本は桃山時代のものであると言ってよい。池泉鑑賞式庭園で、大書院から眺めるように工夫されている。

上の写真は、その大書院から眺めた庭園の様子。この庭は、利休好みの庭などと呼ばれ、寺もそれを宣伝していたが、実際には、利休がここを訪れたことはない。祥雲禅寺は利休の切腹したあとの時代に作られたからである。

庭園の設計者は小堀遠州と言われている。中国の名勝廬山をモデルにしていると言う。



これは、石組みで廬山をあらわしたところ。この庭には、さつきがいたるところに植えられている。



池の石橋が架けられているのは、この庭がもともとは池泉回遊式であったことの名残。







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