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京都祇園祭の旅その八:伏見



(伏見の十石船)

東福寺より歩みて京阪電鉄鳥羽街道駅に至り、そこより電車に乗りて中書島駅に至る。駅より歩むこと数分にして小運河に差し掛かる。濠川といひて高瀬川が宇治川に合流するあたりなり。高瀬川は、淀川を京都の市中と結ぶために開削せられし運河にて、京都市中より十石船に積載して運び来れる荷をこの運河を通じて運び、合流地点たる伏見にて三十石船に積み替え、宇治川を下りて大阪方面に送れるなり。


(伏見長建寺)

濠川のたもとに一の淫祠あり。長建寺といひて弁財天を本尊となす。弁財天を本尊となすは珍しきことといふべけれど、珍しさはそれにとどまらず、山門の形も通常の日本の寺の門の姿とは大いに異なれり。とまれ弁財天は水運と商売繁盛にかかはりがあることから、ここに勧請せられたるが如し。


(大倉酒造)

船着場に接して大倉酒造の醸造所あり。月桂冠の醸造もとなり。三百円を支払ひ中に入ると、本吟醸酒の一号瓶を土産に持たされて内部に案内せらる。麹の仕込から清酒の仕上げに至るまで、清酒の造り方を要領よく説明してあり。月桂冠と言へば、徳川時代の初めに遡る古き銘柄にて、小生もまた日頃これを愛飲す。淡白な味を以て真髄となす。


(寺田屋内部)

大倉酒造より数十歩歩んだ先に、幕末史の一舞台となれる寺田屋立ちたり。ここは薩摩藩の定宿として、幕末の志士たちの動向にはかかはり深きところなり。薩摩藩士九人の暗殺やら坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺はここを舞台に行はれたり。その舞台がいまもなほ、幕末のままにたちをるとありて、多くの幕末史好きを集めるといふ。小生も折角来たことと思ひ、是非もなく中を見物せり。

建物は二階建にて、一階は板の間と次の間、二階には狭隘な廊下を挟んでいくかの客間あり。客間相互は堅牢な壁に隔てられず、障子にて区切らるる簡素な作りなり。龍馬は二階の奥の部屋にて中岡と差し向かひに話しをるところを、見回り組みの一隊に踏み込まれ殺されたり。北辰一刀流免許皆伝の使ひ手龍馬があっけなく殺されしは、不意をつかれしと、刀を振るにたる空間の余裕あらざるを以てなるべしと、この光景を目の前にして、改めて感じたり。


(伏見の酒蔵)

寺田屋よりやや先に、醸造元の立ち並ぶ横丁あり。黄桜・神聖といへる看板を目にす。伏見の酒蔵といへば、小津安二郎の映画「うきくさ」の中で、黒塀の前に積み重ねられた桶など印象にのこるところなれど、させる光景をこの日は見ることなし。伏見の造り酒屋も、月桂冠や黄桜など大手を別にすれば、次第に選別廃業の続きしことをものがたるものか。

酒蔵横丁の一角に鳥せいなる食堂あり。蔵元神聖の経営になるものの由。ここに立ち入りて鳥めし弁当を食ふ。美味にして値さして貴からず。店内は、地元の人と思しき客を含めて大勢の客でごったがえしてゐたれど、それもまた道理と感じ入りぬ。

大手筋通りを歩みて京阪電鉄伏見桃山駅に至り、そこより電車に乗りて四条祇園駅に至り、錦小路に立ち寄る。こたびは新京極通り側より入り、高倉通りへと抜けぬ。錦小路にては、荊婦のために黒豆の甘納豆を買ひ求め、自分自身のために漬物数種を買ひ求めたり。

帰路は京都駅16時56分発東京行の新幹線に乗りぬ。弁当を買ひて車中食はんと思ひゐたりしが、食欲わかず。熱中症にかかりしなるべし。連日三十数度の暑さの中を、年甲斐もなく歩きまはりたれば、当然のむくひといふべきか。







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