日 本 の 美 術
HOMEブログ本館日本文化美術批評東京を描く水彩画動物写真 |プロフィール掲示板



京都古寺巡り(その三)神護寺、高山寺



(神護寺山門)

六月二日(月)この日も晴れて炎暑なり。七時に起床し、ホテル内にて朝餉をなしてのち、京都駅九時発のJRバスに乗り、五十分ほどして山城高尾なるところに下車す。下りの山道を歩き、渓流にかかれる橋を渡ると次は峻厳なる上り坂なり。上下の坂道を併せ十五分ほど歩みて神護寺に至る。山門をくぐれば、さまざまな伽藍山中に雑然と配置せられてあり。

神護寺は、密教にとり重要な意義を持つ寺なり。空海が唐より帰朝し、はじめて布教の拠点としたるはこの寺なり。空海はこの寺にて最澄はじめ国内の高僧に両界曼荼羅の極意を授けたるなり。また、その最澄も一時はこの寺を布教の拠点にしたることあり。当時は高尾山寺と称されしが、空海によって神護寺と改名せられたり。

かく寺の歴史は古けれど、境内に立つ伽藍にはあまり古きものを見ず。最古の大師堂も桃山時代の建築物なり。金堂は見上げるやうな巨大さにて、堂内には国宝薬師如来立像安置せらるといふも、近づくことを得ざれば、具に観察することを得ず。また、多宝塔内の五大虚空像菩薩も秘仏扱ひなり。昨日の東寺の諸仏とは,処遇を大いに異にす。

境内には楓の樹多し。いまや新緑の若芽吹き出で、目にもすがすがし。紅葉の季節にはさぞ人の目をたのしましむるなるべし。


(高山寺本堂)

再びJRバスに乗り栂尾なるところに下車す。栂尾の高山寺はバス停よりすぐのところにあり。まづ石水院なる建物を見物す。これは鎌倉時代初期の高僧明恵上人が住坊として用ひし建物にして、生活の匂を感ぜしむ。その明恵上人を描きし絵を壁にかけてあり。その痛み具合から見て本物の如し。この絵は、明恵上人樹上座禅像といひて、なかなかユニークな構図の絵なり。

この寺はまた、鳥獣戯画で名高き鳥羽の僧正にも縁深き由。座敷の一角に例の動物の墨絵の巻物展示せられてあり。これも本物なるやいなや、俄かにはわからざりき。また、巻物の近くに運慶作なる犬の彫り物展示せられてあり。姿かたち本物の犬を見るが如し。極めて愛嬌つきたれば、人気者なるが如く、かの志賀直哉などは、これを養子にもらひうけて愛育致したいなどと言ひたる由なり。

石水院を出でて境内を散策す。いたるところ杉の巨木林立してあり。また、楓の木も多し。ここも紅葉の折にはさぞ見事な景観を呈すべし。

この寺はまた、日本茶の発祥地なりといふ。栄西禅師が宋より持ち帰りし茶の種をここにて撒き、育ちたる茶の苗を宇治はじめ方々に配りしといふ。それ故、いまだに宇治の茶商人たちが、この寺の茶園を管理しをるといふなり。


(川床の茶屋)

これにて正午を過ぎ、空腹感を覚えたれば、門前の茶屋に入りて昼餉をなす。ここも昨夜の加茂川べりの川床と同じく川に面して舞台のやうにつきだしてあり。よって川風を身に浴び、渓流の音を耳にしながら食事をたのしむことを得たり。この川は清滝川といひて、流れの先には桂川に合流すといふ。

山中のしかも川端とあって、小さな羽虫の類いたるところに飛翔す。これらが我が顔に向かって突進するかと思へば、中には我が目玉の中に飛び入るものもありて、大きに難儀せり。さういへば、昨日の知積院の池には、水面におびただしき数のみずすまし泳ぎまはりてありき。いづれも東京辺にては、昨今絶えて見られぬ光景なり。





HOME京都古寺巡り次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2014
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである