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京都古寺巡り(その四)仁和寺、竜安寺、金閣寺



(仁和寺御室の庭園)

食後再びバスに乗りて仁和寺に至る。山門は巨大な仁王門なり。門をくぐりてすぐ左側に御室あり。平安時代初期に宇多天皇が住坊となされしところにて、それよりお室と呼ばれるやうになりしといふ。以来門跡寺院として高き格式を誇れる由なり。その御室の一角はいまなほよく保存せられ、皇居より移築したるといふ建物を中心にして、手入れのよく行き届いたる庭園を眺めること得たり。この庭園なかなかの見ものといふべし。往年謡曲の仲間とともにこの寺を訪ねし折、どういふわけか御室の中に立ち入ることをせざりき。仁和寺の価値はこの一角におふところ大なれば、うかつなりしといふべし。

仁王門の先には中門あり。それをくぐれば,正面に金堂あり。左手にはお室桜の樹林あり、右手には五重塔あり。金堂は皇居の紫宸殿をそのまま移築したりといひ、すこぶる規模壮大なり。かつて謡曲仲間とともに、この前にて経政の一節を謡ひしことなど思ひ出だされてなつかしきかりき。

観音堂の方向へ歩み行くに、女子高校生数名アメリカ人と思しき若者と英語もて会話をなすあり。若者の方から語りかけたるものの如し。女子生徒らは臆することなく英語もて受け答へをなしてあり。いまごろの女子生徒はなかなか利発になりたりと思し。


(竜安寺石庭)

見物後仁王門前よりまたバスに乗り竜安寺に至る。境内修学旅行の生徒充満せり。本堂の内部より例の石庭を眺めんとするに学生の姿に遮られてじっくり見ることを得ず。この寺は禅寺にて、静謐こそにあふなれといふべけれど、かくも人が多くては静謐どころにあらず。

この石庭を見をるうち、いづこかの学校の教師とおぼしき人,生徒たちに向かって石が何個見えるかと問ふ。さういはれて、筆者も石を数ふるに、己の視界より確認できたるは十二個なり。ところが生徒のうちには十五個見ゆるといふものあり。それに対して教師は自分の目には十四個しか見えぬといふ。ひとそれぞれに視界異なると見えたり。


(金閣寺舎利殿)

石庭を見終はりしのち鏡容池をぐるりとめぐり、出口の駐車場よりタクシーに乗りて金閣寺に至る。これまで銀閣は幾度も訪ねたることあれど、どういふわけか金閣には縁遠く、数十年ぶりの訪問なり。余がいままで金閣寺を軽視せるは、舎利殿が例の火災にあひていったん消失したれば、文化的価値に劣ると思ひをりしためなれど、建物こそ昭和の再建なれど,庭園は足利時代初期そのままの面影を残しをるなり。金閣寺が世界遺産に登録されたるは、この庭園の持つ価値のためなり。

原初の金閣寺舎利殿は、回廊を通じてもうひとつの建物につながりをりしとなり。現在の金閣寺には、回廊も別院の建物もなし。回廊の一部と思はるる構築物が金閣本体に付属するやうに取り付けられたれど、なくもがなのやうに見えたり。

金閣寺にも修学旅行中の生徒充満す。余の生徒時代には修学旅行といへば秋の行事と定まりたるに、今ごろは初夏の時節にも盛んに行はるるやうなり。


(豆腐懐石豆水楼)

門前のタクシー乗り場よりタクシーに乗りて地下鉄北大路駅に至り、そこより地下鉄に乗りて京都駅に至り、四時頃ホテルに戻る。しかしてホテルの部屋にて汗をしずめ、しばし休息をとりしのち、夕刻また地下鉄を乗り継ぎ、京都市役所に下車し、三条大橋北側の川沿にある豆腐料理屋豆水楼にて夕餉をなす。

亭主に案内せられて納涼床に席をとる。これもまた川床の席なり。これにて先斗町にて川床の席に座りて以来、けふの高山寺清滝の川床を含め、川床三昧とはなりしなり。

豆腐料理屋なれば、是非もなく豆腐懐石を注文す。とうふを用ひたる先付、おぼろ豆腐、なまゆば、豆腐の煮物、豆腐の焼物、豆腐のてんぷら、豆腐の羹、揚げ出し豆腐、しかして豆腐の菓子といへる具合に、豆腐料理のオンパレードなり。

けふも日中は炎暑なりしが、夕刻はさすがに暑気もおさまり、川風が気持ちよし。周囲には多くの客の姿あり。よく見ればみな日本人なり。昨夜の店の客の多くが外国なりしとは大違ひなり。中に役人風のものの集団をみかけたるは、近所なる京都市役所の役人ならんか。

この川床といふは、屋根もなく、ふきさらしの作りなり。雨が降ればびしょ濡れともなれば、板敷の上に粗末な筵を敷くばかりの簡素な設へなり。

この日も、興味深き事に気づく。エスカレーターの乗り方については昨日触れしところなれど、地下鉄車内にて、若者の多くは席に座せず、席があいてゐても立ちをるなり。東京の若者が我さきがちに座席に直行し、座しては股を広げ、或は脚を組むなど、傍若無人の者多かるに対し、京都の若者ははるかに礼儀ただしとすべし。





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