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吉野:奈良・大和路を歩く



(金峯山寺蔵王堂)

三月十六日(金)半陰半晴。朝餉をなして後「騎士団長殺し」を読むこと昨日の如し。九時近くホテルを辞し、近鉄奈良駅より電車に乗り、西大寺、橿原神宮にて乗り換へ、吉野に向かふ。吉野口駅を過ぎ暫時して渓流あらはる。吉野川なるべし。このあたりは能「国栖」の舞台ともなり、また谷崎の小説「吉野葛」の舞台ともなりしところなり。谷崎の小説は「国栖」を参照しつつも、全く異なる世界を描きてあり。

吉野駅よりロープウェーに乗りて吉野山に上る。このロープウェー勾配急なるあまり、眼下を見るものをして眩暈を起さしむ。小生は高所恐怖症なれば眼下を見下ろすこと能はず。目をつむりてやり過ごしたり。下乗するやすぐ参道あり。両側の土産屋を眺めつつ参道を登れば、ややして黒門あり。吉野山全山の総門なる由。それをくぐればややして金峯山寺の巨大な山門を見る。石段を登り山門をくぐれば蔵王堂の前に出るなり。

蔵王堂は金剛蔵王権現を本尊とし、全国蔵王信仰の拠点たり。蔵王権現とは、日本独自の仏にて、修験道の本尊として崇めらるるものなり。その蔵王堂を中核とする吉野山は古来全国修験道の拠点たりしなり。かの西行法師が足しげく吉野に足を運びしは、桜を見るはもとより、修験道の修行たる意味もありしやうなり。

吉野山には高校時代の修学旅行にて訪れたることあるやに記憶せるも、詳細を覚えず。この蔵王堂にも立ち寄りしはずなれど、眼前の蔵王堂と記憶にかすかに残りをる蔵王堂のイメージと一致せず。往時の記憶茫洋たるに老衰の兆しを感じて惆悵たる思ひに駆られぬ。


(吉水神社)

参道を更に進むに吉水神社あり。門の傍らに南朝皇居と彫られたる石碑あり。ここはかの後醍醐天皇が南朝の皇居として定めし行在所なり。高校の修学旅行の記憶にはあれざれば、立ち寄りしや否や明らかならざれど、吉野山に上りてここを訪れざるは不明といふべければ、かならずや訪れしなるべし。それを記憶せざるはやはり老衰のゆゑかと思ひ、またもや悵然たりき。

中に立ち入るに、後醍醐天皇の執務室やら弁慶の思案の間とかいふものあり。ここは後醍醐天皇が身を寄せし前に、義経一行が頼朝の追っ手を逃れて身を寄せしなり。その折に弁慶が思案にくれしという部屋が今に残りをるなり。

勝手神社前の茶店に入りうどんとビールを注文す。関西に来てはやはりうどんを食ふべきなり。


(如意輪寺遠景)

食後如意輪寺に向かふ。勝手神社より数丁先を左し、深い谷に下りて、更に急峻なる斜面を登って至るなれど、眼前にその光景を見ていささか気遅れす。脚の状態もはかばかしからざれば、途中から引き返したり。それでも寺の全貌は、谷のこちら側より手に取るやうに見ゆるなり。

これにて時間もせまり来たれば下山することとす。参道を戻る途中、一軒の小さな店に立ち寄りて柿の葉寿司を買ひ求む。家人への土産と帰りの車中のビールのつまみのつもりなり。さばとさけの押し寿司なり。亭主注文を受けてから寿司を折につめ、板もて圧せり。

帰路は橿原神宮より特急電車に乗り、四時半頃京都駅に至り、そこより五時頃発の新幹線に乗って東京に向かひたり。吉野より東京に向かふには、近鉄大阪線にて名古屋に出る法もあるなれど、こちらは乗換へやら運行頻度やらの都合かなり不便と思はれたれば、京都経由を選びしなり。

新幹線の車中、柿の葉寿司をつまみビールを飲みつながら「騎士団長殺し」を読む。この三日間を以て五百四十ページの大冊を百ページを残すばかりに読み進みぬ。







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