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弥生時代の金属器



(弥生時代の銅鐸)

弥生時代には朝鮮半島から大量の金属器が輸入された。それには大きく二種類あった。ひとつは銅剣、銅矛、銅鐸、銅鏡などの青銅器であり、もうひとつは鉄製の農機具であった。縄文時代の日本人は金属というものを知らなかったので、日本は新石器時代から一挙に鉄器時代を迎えたということになる。

金属器は、最初は輸入されたが、次第に日本で作られるようになった。それにしたがって、形態や用途が日本人向けに変化していった。

たとえば銅剣。朝鮮半島製の銅剣は、細身で鋭い形をした武器であったが、日本で作られるようになると、幅広で長大なものになった。それは武器というにはあまりにも不細工なので、おそらくは武器以外の用途、たとえば共同体の権威の象徴として用いられた可能性がある。

また銅鐸は、朝鮮のは小型のものが多く、楽器として用いられていた。ところが日本では、大型、幅広となり、装飾も複雑となり、これも楽器としては適さないものになった。これも銅剣同様に共同体の権威の象徴としてか、祭祀用の器物として用いられた可能性がある。

銅鏡は文字通り化粧用の鑑であったが、日本では呪術の道具になったらしい。主として巫女が用い、後には神社の本体になった。

時代は下るが、皇室の三種の神器は、剣、鑑、玉からなっている。これはおそらく弥生時代における儀礼的な器物にその起源があるのではないかとも考えられる。

上の図像は弥生時代の銅鐸二点。左は流水文をあしらい、右は袈裟襷文をあしらっている。流水文は縄文土器にも見られたが、弥生時代になると一層規則性をまし、繊細な印象を与える。

袈裟襷文のほうは、銅鐸の表面を袈裟や襷を渡したように縦横の区切りをいれ、それぞれの区切りの空間の中に人や動物などを書き込んでいる。(美術出版社、日本美術史参照)






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