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飛鳥時代の仏像2:法隆寺金堂釈迦三尊像



(法隆寺金堂釈迦三尊像、銅像、釈迦像高86.3cm)

法隆寺の本尊として金堂中の間に安置されている釈迦三尊像は、聖徳太子の等身像として作られたものだが、完成したのは太子の死後1年経った623(推古三十一)年である。作者は飛鳥仏と同じく、渡来系の仏師鞍作止利である。

大きな挙身光に包まれるようにして、中央に釈迦像が、両脇に脇侍が立っている。釈迦の像高は約86センチと、そんなに大きくはないが、大小二種の須弥坐(台座)を重ね、また上部に天涯を下げると、結構大きく見える。

釈迦は、大きな台座の上に結跏趺坐し、右手は施無畏の印、左手は与願の印を結んでいる。長い顔と長い首、目は下瞼が目尻のところで吊り上り、三角の大きな鼻と分厚い唇といったところが特徴で、異国の神の風情を感じさせる。額の白毫のところは欠損して釘だけが痛々しく残って見える。

光背(挙身光)は蓮華文を中心にしていくつかの同心円があり、その外側に火焔文が施され、その中に七身の仏像が置かれている。

両脇侍はそれぞれ、基底の上に据えられた蓮華の上に立っている。像高はそれぞれ約90センチメートルである。どちらも同じ姿勢をとっているので、左右対称には見えない。顔つきは釈迦とほぼ同じで、大きな宝冠を被り、地面にまで垂れ下がった衣の袖が特徴である。

この三尊像は、渡来人系の仏師鞍作止利が作ったこともあり、大陸、とくに北魏の影響が指摘されている。当時の日本には独自の仏像文化などはなかったわけだから、大陸から輸入するか、渡来人が大陸をモデルにして作ったか、そのどちらかであったわけである。


(法隆寺金堂薬師仏、銅像、像高63cm)

法隆寺金堂内にはもう一体、薬師仏が安置されている。釈迦物と非常によく似ている。ただ、その表情は釈迦像よりも柔和だという印象を与える。

光背に造像記があり、607(推古15)年に完成したと記してある。また、聖徳太子が用明天皇の命によって作ったとあるから、もしかしたらこれが、法隆寺のもともとの本尊ではなかったかとの推測もたてられている。もっともこれは、後世のデッチアゲで、この仏が作られたのは白鳳期だとする意見もないではない。






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