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法隆寺玉虫厨子:日本の美術 |
(法隆寺玉虫厨子、木製、高さ232.7cm) 法隆寺の玉虫厨子は7世紀の半ばごろ、すなわち飛鳥時代から白鳳時代への過渡期に、日本で作られたと思われる。厨子とは仏像を安置する容れ物のことをいう。この厨子が玉虫と名付けられたわけは、柱、桁、台座などの縦横材の装飾の一部に玉虫の羽(五色に光るとされる)を用いていることにある。 全体の高さは232.7センチメートルで、建築部はヒノキ、彫刻部はクスノキを用いている。仏殿は二層の基壇からなり、上段には刳形の彫刻が施されている。屋根は入母屋造りで、正面は平入りになっている。瓦は錣葺きで、飛鳥時代によく作られたものであることから、飛鳥時代の建築様式を推察する手がかりを与えてくれる。 (玉虫厨子正面扉、神王像) 上層は正面及びその両側あわせて三面が扉になっている。下層はいづれも壁面である。そしてこれらすべての面に絵画が描かれている。我が国絵画史上最も古いもので、いずれも漆を用いた絵である。 上層の正面扉には、一対の神王を描いている。腰を張り首を巡らしたいわゆる三屈法の姿勢からして、四天王のうちの二人だと思われる。明確な線からなる線描画で、人物の躍動感を表現するのに成功している。 (玉虫厨子側面扉、観音像) 側面の扉には、一対の観音像が描かれている。二体とも長身で、蓮華座の上に立ち、片方の手で印を結び、もう片方の手で蓮枝を持っている。下裳{スカート}には北魏の仏像の影響が伺われるとの指摘もある。 上層背面には霊鷲山と思われる岩山と四人の比丘が描かれ、下層(須弥坐)には、梵香供養、海竜王宮、捨身飼虎、施身聞偈の図柄がそれぞれの面に描かれている。 本尊は観音菩薩の金銅像である。もともとは釈迦像だったらしいが、この観音像は白鳳期に作られたものである。 |
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