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白鳳時代の仏像2:中宮寺半跏思惟像



(中宮寺半跏思惟像、木造、高さ133cm)

白鳳時代から天平時代にかけて多くの半跏思惟像が作られた。これらの像は今ではいずれも弥勒菩薩像と言うことになっているが、中には如意輪観音と呼ばれていたものもあった(中宮寺ではいまでもそう呼んでいるようである)。しかし、大阪野中寺の半跏思像の台座銘に明確に弥勒菩薩とあるところから、ほぼ似たような形の半跏思惟像はいずれも弥勒菩薩だと断定されるようになった。

半跏思惟像の中で最も名高いのは中宮寺のものである。中宮寺は、聖徳太子の生母間人皇后の死後、その宮を寺としたものだが、鎌倉時代に現在地に移り、法隆寺の一部のようなかたちになっている。なお、原中宮寺は現在地より東に300メートルほどの地点に位置し、その心礎が残っている。

大きな台座の上に腰をおろし、右足を左膝の上に乗せ(半跏)、更に右ひじを右ひざの上において、あたかも考え事をしているかのようであるところから、半跏思惟像と呼ばれる。これは弥勒菩薩の修行の様子を現しているのだと解釈されている。

上半身は裸体で、下半身は下裳に覆われている。双髷を結い、左右の髪が両肩に垂れかかって、ワラビ状の形を呈している。光背は彫刻が施され、古式を保っているといわれる。

顔はふくよかで、体つきも全体として豊満なイメージである。半跏思惟像はもともと渡来像として入ってきたわけだが、日本化される過程で、このように人間臭さのただよう形へと変わってきたのだと思われる。なお材質はクスノキ材である。

(野中寺半跏思惟像、銅像、高さ31.2cm)

大阪野中寺の半跏思惟像は、台座銘から666年に作られたことがわかっている。これは中宮寺とは違って木造ではなく、金銅像で、高さ僅か31センチ余りの小さな像である。






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