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寧都雑感:奈良観仏記(その二)


 十月廿一日(土)晴。この日は一日強行軍なりき。ホテルにて朝餉をなしチェックアウトを済ますや、JR奈良駅まで歩みてそこに荷物を預け、まず法華寺に向ふ。寺内閑散として他に誰も見物客を見ず。朝気すこぶる爽快に感ず。堂内に入るに、目当てにしをりし十一面観音は非公開の由にて、代りにそっくり似せて作られたるという分身仏を拝まさる。良く出来たりといへど、どことなくありがたみに欠けるやうに覚えけり。法華寺を出でて後、平城駅まで歩む。この間の道は古代諸皇族の古墳群連なり、森と水とが深き緑に溶け合ひ、森閑たる趣をたたへてあり。朝の清々しき空気の中悠久の歴史に思ひを馳するには格好の散歩道なりき。

  (古墳をつなぐ道にて)
  碧なす水面に近く飛ぶ鳥はありし舎人の魂にやあるかも

古墳地帯の傍らには、平城宮跡往昔の坊条を再現する形にて整備せられ、数多くのヒバの植木整然と立ち並びたり。

  (平城宮跡)
  広庭に寄り立つ木群れ古の大宮人のおもかげに見ゆ

平城駅より近鉄に乗り、西大寺に往く。ここは歴史の古きに係はらず、度重なる戦禍を被りしため、現存する諸仏は皆新しい時代のものばかりなり。中に、諸眷属を従へたる文殊菩薩目を引けり。されど、最も興味をそそられたるは本尊よりむしろ歴史的価値に劣るといふ善財童子の塑像なりき。とぼけたような童顔が何とも愛らしかりき。

  (西大寺にて)
  悠久の塵の汚れが愛らしき善財童子の笑顔なりけり

西大寺より更に近鉄に乗り西の京に至り、薬師寺と唐招提寺を見物す。どちらも保存の状態よし。しかもゆっくり眺むることを得るやう配慮されてあり。見物客にとりては大変都合良し。昨日まで悩まされたる小学生の群も今日は週末とありて見当たらず。像多き中に、圧巻は薬師寺の金剛薬師三尊像、大津皇子を写せるといふ同寺聖観音像、それと唐招提寺金堂の一連の像なり。この最後のものは、前面を大きく開放せる木造の堂屋いっぱいに、中央にルシャナ仏、右に薬師如来、左に千手観音、さらにその周りに梵天、帝釈、四天王を配す。さながら仏典のドラマ再現せらるるかの如くなり。金堂の仏像配置としては南都随一のものなるべし。この金堂は建物ごと千数百年前の姿そのままに残れる希有の例なる由。全部がそっくり国宝に指定せられたるといふも肯なるかな。余りに印象深く感じたる故、仏像配置を写生せり。

  (唐招提寺金堂)
  仏像をスケッチすべく目を凝らす千手の眼笑ふが如し
  (また薬師寺聖観音像を見て)
  己が身は亡びて永遠の救ひかなただよふ微笑は愁ひに似たり

西の京の見物を終へたるは三時前。夕刻まで時間に余裕ある故、思ひ切って當間寺を訪問す。近鉄當間寺駅より寺まで歩みて十分程の道は、門前に古き参道の面影を残し、左右に古風な民家立ち並びたり。山腹にひそみたつ幽玄なる寺域と一体をなして、なかなか良い雰囲気なり。和辻哲郎が古寺巡礼の中にて唯一詩を作り讃へたるも、さこそと頷かれたり。門を潜るとすぐ目の前に曼陀羅堂、金堂、講堂建ち並び、有名な双塔は左手の山奥に木立に囲まれて立てり。まず、曼陀羅堂に上がり中将姫縁の曼陀羅を見る。想像せるより遙に巨大なるに一驚を喫す。一辺一丈五尺もあるといふ。伝説通り一人の女が蓮糸より織り上げたるといふが真実なら、せいぜい五尺四方のものを思い浮かべるが人情なるべし。されど、よく見れば、これは阿弥陀の説教に無数の聴聞衆の聞き入りをるという図柄にて、仏の大いなる功徳を表すには、むしろこれくらゐ大きくあって当然なり。

  (當間寺曼陀羅)
  曼陀羅は人を圧して大なりき中将姫の愁ひもかくや
  早乙女の涙に織れる蓮糸や仏の慈悲の蓮華とぞなる

曼陀羅堂を出でて後、金堂、講堂を見物す。それぞれ、寺の少年に案内され扉を開けてもらって入る。二つの堂とも、薄暗き空間に立ち並ぶ諸仏の配置中々良き雰囲気を醸し出してあり。微かな光線の中に浮かび出づる仏の顔は、見る角度に従って様々な表情を呈せり。仏像は明るき光の中に見るより、薄暗き空間内にて一条の光線を頼りに見る方が宗教上遙かに効果ありと納得せられたり。何時までも留まり見てゐたき誘惑に駆られたれど、側に立つ少年の手前をはばかり、程良きところにて退出す。

更に双塔を一望しうる丘の上に登り、五時頃当麻寺を辞去す。高まる感情に浸りつつ後ろを振り返れば、迫り来る黄昏の中に、双塔ひっそりと立ちなずみ、我が姿を見送るかに思はれたり。

  (當間の塔)
  門を出でてふりかへり見れば二上の深き碧に塔とけこめり
  塔の見ゆる當間の寺は二上のたもとにありて古しのばゆ

帰路は近鉄線に乗りて奈良へ戻る。和辻がかつてなしたるやうに、高田よりJR線に乗換え、山の辺の古墳を眺めつつ帰らんとも思ひたれど、疲労重なり、また宵闇も深まり来りし故断念す。寺を出でたる途端膝はがくがくと鳴り、道端にへたり込みたる程なるに、かかることに考へ及びしも、旅情深まる余り、夢うつつも弁ぜられぬ程気分の高まりし故なりしや。七時頃、JR駅近くの若草ホテルに投宿す。ホテル内のレストランにて夕餉をなし、早々に寝につけり。


 十月廿二日(日)晴。朝、昨日の日記の整理を済ませて後、九時頃ホテルを辞す。近鉄奈良駅に荷物を預け、東大寺に向かって歩く。途中、鹿の姿多し。

  (早朝奈良公園散策)
  朝靄の清々しきに点々と鹿の糞見ゆ楽しくもあるか

興福寺前にて鹿用の餌を買ひ求め、一匹づつ食わせんと思ひゐたる所、鹿ども群をなして集まり来り、早くよこせとしきりに催促す。まさに奪ひ取らんとする様子ありありにて、角を以て我が尻を突く者もあり。付近にゐたる子どもなどは、同じやうな目にあひて泣き出す始末なり。

東大寺に至り、まづ大仏殿を見る。ついで戒壇院、正倉院前、二月堂、三月堂の順に散策を楽しみながら見て回りしが、最も感銘を受けたるは、三月堂別名法華堂の諸仏なりき。本尊不空羂索観音を中心にして、脇待に梵天、帝釈、四周に四天王、前面に金剛力士を従へたる諸仏の配置は、唐招提寺金堂同様、古代人の思ひ描ける仏典のドラマを彷彿せしめて荘厳な気分を催さしむ。これら当初より安置せられし諸仏のほか、日光、月光の両菩薩を始め他堂より移され来るという諸仏も都合よく配置せられ、建物全体一の大壮観を呈せり。

  (法華堂)
  うすぐらき光の中に我を見る仏は何を語らんとすか

また、水やりなる火の行事にて知らるる二月堂は、奈良の街を一望する高所にありて、下界を見下ろしながら雑念を忘却するにはうってつけの場所なり。

  (二月堂に登りて)
  高殿に登りて空を眺むればはるばる来ぬる旅を忘るる

鐘楼前の茶店にてそばを喫して後、歩みて新薬師寺に至る。草深き里の中に今は金堂のみ残る小寺なれど、この金堂は諸仏共々天平の創建時そのままの姿に残れるなりといふ。堂内は阿弥陀如来を中心にして、その周りを十二神将が守護するように配置せられたり。表情豊かな諸像はいづれも国宝の由なれど、この言はずもがなのことをわざわざ念押しして、壇前に国宝指定書なるものずらりと陳列されたり。床屋の壁に架けられたる検定書を見るようにて、何とも興ざめに感ず。

  (新薬師寺)
  空をにらむ諸将の目にも情けあり国宝指定書坊主を養ふ
  あをによし奈良の都はへだてれど仏は今にましましにけり

二時半頃新薬師寺を出で、奈良公園を通りて近鉄奈良駅に至り、近鉄特急、新幹線を乗り継ぎて帰る。帰途の車内、飲むこと多少度を過ごしたりと覚しく、帰宅せる途端、子どもらに酒臭しといはる。また、家内からも例の如く小言をいはれ、旅情忽焉として霧散す。






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