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秋篠寺伎芸天像



(秋篠寺伎芸天像、頭部乾漆像、本体木造、彩色、像高212.1cm)

秋篠寺は光仁天皇による勅願寺で、780(宝亀十一)年善珠僧正の開基になると伝わる。天平末期から平安初期にかけて大いに繁栄したが、1135(保延元)年の火災によりほとんどの伽藍が焼失した。現存する本堂は鎌倉時代に再建されたものである。

秋篠寺の本尊は薬師三尊であったが、原作は消失し、現存の本尊像は室町時代の作である。今も伝わる像の中で天平時代の面影を伝えるのは、有名な伎芸天像を始めとする四体の像、すなわち、梵天、帝釈天、救脱菩薩、伎芸天である。

これらはいずれも天平様式を示す乾漆像であるが、四体とも頭部以外は鎌倉時代に木造で補作されたものである。梵天像の首部にある墨書銘が、その補作の事情を記している。それによれば、1289(正応二)年7月25日に補作が完成、奉行人は藤原光安ということになっている。

これら四体の像は、天平の頭部と鎌倉の体躯とが見事な調和をみせた例として名高いが、なかでも最も名高いのが伎芸天像である。女性的な雰囲気をもつ頭部にあわせて、体躯も女性的な輪郭を醸し出して、全体として一体的なイメージを演出している。これと比較すると、梵天像のほうは、頭部も体躯も男性的なイメージで統一されている。






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