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鑑真和上坐像:天平時代後期の美術



(鑑真和上坐像、乾漆造、像高79.7cm)

鑑真は中国揚州の律宗寺院の僧侶であったが、742(天宝元)年、遣唐使の留学僧・栄叡(ようえい)、普照(ふしょう)から、朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意。その後の十二年間に五回の渡航を試みて失敗、次第に視力を失うこととなったが、753(天平勝宝五)年、六回目にして遂に日本の地を踏んだ。その和上を聖武天皇は手厚く迎え、自身東大寺大仏殿前で和上より戒を受けた。以後和上は、日本仏教における戒律制度の確立に寄与した。

和上は始め住坊として唐禅院を与えられたが、やがてこれを弟子の法進にゆずり、自身は新田部親王の旧宅地を賜って、759(天平宝字三)年そこに唐招提寺を開き、763年(天平宝字七)にその寺で亡くなった。

この像は、鑑真の死後間もなく作られ、鑑真晩年の相貌を伝えるものといわれている。

眼は閉じられていながら、心眼を以て真理を見据えているといった印象を見るものに与える。極めて写実的ながら、なお精神性を感じさせることころは、天平時代後期の代表作たるに相応しい。






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