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密教建築1:高野山金剛峰寺



(金剛峰寺不動堂)

日本で最初の密教建築といえば、空海が高野山に造立した金剛峰寺である。金剛峰寺の諸伽藍は、消失と再建を重ね、現存するものは、最も古い不動堂や大会堂でも12世紀末より先には遡らない。しかし、個々の建物はかなりな程度、創建当時の面影を帯びていると言われている。

金剛峰寺の密教建築としての意義は、個々の建物よりも、それらの配置のあり方にある。それは、山上の平地に二つの塔を左右に並べ、その中間前方に講堂を置き、後方に僧坊を配するというものである。二つの塔は、所謂多宝塔形式で、向かって右側が根本大塔、左側が西塔である。根本大塔のほうは大日経の教えを視覚化し、西塔のほうは金剛頂経の教えを視覚化している。それ故両塔合せて両界曼荼羅を空間的に展開したものということができる。

この形式は、日本ではほかに見られないものであり、空海の独創によるものである。奈良仏教の伽藍を見慣れたものには、かなり異様に映ったことだろうと思われる。とりわけ、従来の五重塔や三重の塔とは異なった多宝塔のありさまは、密教寺院のシンボルとして受け取られた。金剛峰寺に類似した伽藍配置は以後作られることはなかったが、多宝塔の方は、密教寺院のシンボルとして、各地に作られていった。

なお、現存する金剛峰寺多宝塔は、西塔が1834(天保5)年、根本大塔が1937(昭和12)年の再建になるものである。





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