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中尊寺金色堂



(中尊寺金色堂)

平泉の中尊寺金色堂は、奥州藤原氏三代の栄華を示す遺構である。宇治の平等院鳳凰堂と並んで浄土様式を代表する建築物であるが、平等院のように大きな建築物ではなく、一辺が5.5メートルの小さな仏堂である。覆堂とよばれる大きな建築物の内部に収容されるようになっている。現存の覆堂は1965年に作られた鉄筋コンクリート造りの建物である。

奥州藤原氏の初代清衡は、後三年の役の後奥州の支配者となるや、平泉に拠点を構え、そこに中尊寺を造営した。造営は11世紀の末に始まり、完成(総供養)は大治元年(1126)である。金色堂は天治元年(1124)に完成した。

金色堂の平面は、正面が三間とも扉口、背面は中央が、側面は手前の部分が扉になっているほか板壁である。そしてそれらの上に漆を塗り、その上に金箔を押している。堂の内部は、金箔のほか螺鈿、蒔絵が施されている。外面も内部空間もまばゆいほどに光り輝いている。

堂内には三つの須弥壇が据えられ、それぞれの上に阿弥陀如来を中心に多くの仏像が安置されているほか、須弥壇には清衡、基衡、秀衡三代の遺体が収められていることから、これが単なる仏堂ではなく、埋葬のための施設であったことを物語っている。

藤原三代の支配者たちは、金色堂を阿弥陀浄土とみなし、そこに葬られることによって、極楽浄土に生まれ変わることを願ったのだと思われる。







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