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東大寺南大門仁王像(吽像):運慶と鎌倉彫刻




東大寺は、治承四年(1181)の平家による南都焼き討ちで、伽藍の殆どが焼失したが、すぐさま重源による再建が始まった。その再建の過程で、運慶や慶派の仏師たちが造仏にかかわり、本堂の諸像や南大門の仁王像を造立した。そのうち本堂の諸像は、永禄十年(1567)の兵火で焼失したが、南大門は幸いにも焼けず、今日に伝わっている。その一対の仁王像は、運慶と快慶を中心にして造られたものであり、鎌倉彫刻の最高傑作といえるものだ。

この仁王像は、建仁三年(1203)の七月に作り始められ、同年の十月に、わずか三か月で完成した。そしてその直後の十一月に、開眼供養がなされた。制作に携わったのは、運慶、備中法橋、快慶、越後法橋の四人の大仏師、及び十六人の小工である。誰がどれを担当したのかよくわかっていないが、当時の仏師の慣行から見て、二人の仏師が共同して一つの大仏を制作することになっており、この二つの仁王像のどちらかを、運慶と備中法橋が、もう一方を、快慶と越後法橋が担当したのではないかと推測されている。その場合、運慶が担当したのは、阿吽のうち吽像のほうだろうというのが、有力な説である。

阿吽両像とも、門の左右の狭い空間を最大限有効に使って、躍動感あふれるフォルムを作りだしている。あたかも、この空間を突き破って、大空へと飛翔せんとするかの如き、強烈な印象を、視る者に与える。

これは阿吽像のうちの吽像。まず両像に共通する特徴として、檜の寄木作りであること、躍動感があふれる肉どりがなされていること、豪快な衣文が施されていることなどが上げられる。また、肉身には丹彩、裳には大柄な団花門が施されている。

木組みの特徴としては、軸足を含めた左半分に上下を貫く材木を通し、その周囲に寄木をして全体を作り上げるという工法をとっている。



これは、上半身の部分を拡大したもの。大きな目を見開き、口をきりりと結び、右腕を半分前に突き出して、指を力強く広げている。胸のあたりの筋肉も、隆々と盛り上がっている。表情と言い、筋肉と言い、力強さが迫ってくる。

(寄木作り、彩色 像高848cm 東大寺南大門)






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