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願成就院阿弥陀如来像:運慶と鎌倉彫刻




運慶は、三十歳代半ばに鎌倉に下向して、結構多くの仏像を作っている。奈良仏師で、康慶と同世代の成慶が頼朝に招かれて仏像を作っているが、運慶も成慶を追うようにして鎌倉に下向し、頼朝の岳父北条時政のために仏像を作っている。今日伊豆韮山の願成就院に残っている阿弥陀像以下の諸像がそれだが、ほかにも浄楽寺の阿弥陀三尊像がこの時期の作である。

願成就院は、時政が北条氏の氏寺として創建した寺で、その本尊の制作を依頼されたということは、運慶の名声がすでに日本中に轟いていたことを物語るようである。運慶はこの寺のために、ほかにも不動明王像などを制作している。

願成就院の諸像の特徴は、全体として量感があふれ、逞しさを感じさせることである。また、不動明王像には、たくましさのほかに荒々しさも感じられる。こうした要素は、西国にいたのではなかなか表面化しなかっただろうと指摘されており、運慶が東国武士たちとの交流を通じて身につけたものだろうと思われる。その意味で、この時代の運慶の諸像は、鎌倉彫刻の確立にとって、特別の意味を持つと評価できる。

檜材の寄木造りで、頭部は前後に矧木、体幹部は四材の矧木である。また像内の刳面を浚って漆塗りにしているところは円成寺大日如来像と同じである。

(木像寄木造り 像高143.9cm 文治二年<1186> 神奈川県願成就院)







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