日 本 の 美 術
HOMEブログ本館日本文化美術批評東京を描く水彩画動物写真 | プロフィール掲示板



醍醐寺三宝院弥勒菩薩像:快慶




快慶は、康慶の弟子として、運慶とは兄弟弟子にあたる。運慶と共に東大寺南大門仁王像を造立したことに象徴されるように、鎌倉彫刻の全盛期において、運慶と名声を二分した。南大門仁王像を共同制作したことなどで、彼らの作風に共通点ばかり強調される傾向があるが、その作風には微妙な違いが指摘できる。単純化して言うと、男性的な荒々しい作風の運慶に対して、女性的で優雅な作風の快慶ということになろうか。両者に共通しているのは、リアリズムを貫いているという点である。

快慶の仏師としての生涯は、署名の相違にもとづいて三つの時期に画される。第一は、「巧匠安阿弥陀仏快慶」という署名をした初期、この時代に快慶はすでに安阿弥風と称されるような、彼一流の作風を確立していた。第二は、「巧匠法橋快慶」の署名をした中期、第三は、「巧匠法眼快慶」の署名をした晩年である。快慶はほとんどすべての作品に署名をしているが、これは彼の強い自意識を物語るものと考えられる。

「安阿弥陀仏」の法号は生涯用いたが、これは東大寺の勧進聖として知られる重源から付与されたものである。重源は浄土経の信者でもあり、みずから南無阿弥陀仏と称する一方、弟子たちにも阿弥陀号を付与した。快慶も浄土教の信者として、重源の弟子だったわけである。

快慶の初期の作品を代表するものの一つに、醍醐寺三宝院の弥勒菩薩像がある。写実的な傾向が強い一方、形を意識的に整える工夫も見られる。全体的な印象としては、優雅でおだやかな感じを与える。

建久三年(1192)、後白河法皇の追善供養として、醍醐寺座主勝賢の依頼にもとづいて作られた。

(木像金泥彩 造高112.5cm 京都府醍醐寺三宝院)






HOME| 鎌倉彫刻| 次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである