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黙庵:室町時代の水墨画




黙庵は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての禅僧で、嘉暦(1326-28)頃に入元し、至正五年(1345)彼の地に没した。かれの入元の目的は、当時人気のあった禅僧古林清茂に師事することだったが、古林はすでに死去していたので、その弟子の了庵清欲に師事した。禅を体得するかたわら、水墨画を楽しみ、かれの死後それが日本に輸入された。日本では長らく黙庵を、中国人の高僧と思い込んでいたが、大正時代に日本人と判明し、以後可翁と並んで、日本の初期の水墨画を代表する画家という位置づけが与えられた。

上の絵は、「布袋図」。絵本体と賛とは別の紙に書かれている。賛は月光正印の手になるもので、「玉几」とあることから、月光が育王にあった元統元年(1333)から至正に至るまでの十数年の間だと推測されるが、賛と本体は別の紙に書かれているので、なんとも正確のことはいえない。

本体の布袋図は、渇筆を用いて大笑する布袋を描いている。同時代の可翁同様、牧谿の画風を感じさせるが、牧谿の力強さに対して寛恕かつ軽快な趣である。(14世紀中頃 紙本墨画 114.5×48.5㎝ 個人蔵 重文)



これは、「四睡図」。四睡とは三人の人間と一頭の虎が眠る様子をいう。この絵では、虎にもたれた豊干を中にして寒山拾得が寄り添う構図になっている。禅の境地を表現した道釈画の傑作とされている。

上部の賛には、「老豊干抱虎睡,拾得寒山打作一処」と書かれている。賛者祥符紹密は、詳細は不明だが中国の高僧であろう。(14世紀中ごろ 紙本墨画 73.4×32.4㎝ 前田育徳会 重文)



これは、「白衣観音図」。観音図としてはもっとも古いもので、白衣をまとったあっさりとした図柄に描かれている。上部の賛は、臨済宗幻住派の高僧一曇聖瑞のもの。一曇聖瑞は14世紀の終わり頃に南禅寺などで住持をつとめた禅僧で、黙庵とは時代を異にするので、黙庵死後にこの賛を添えたのだと解釈される。(14世紀中ごろ 紙本墨画 66.2×259.3cm 東京国立博物館)





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