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百鬼夜行絵巻:画像の鑑賞と解説




百鬼夜行絵巻は、鬼や妖怪をテーマにしたもので、おどろおどろしたものたちが集団で夜行するさまを描いている。室町時代から徳川時代にかけて多くの絵巻が作られ、明治以降にも、河鍋暁斎による百鬼夜行絵巻とか、水木しげるの妖怪漫画が作られた。日本人の原像の一つとも言うべきイメージの世界を表現したものである。

百鬼夜行といえば、今昔物語のなかの百鬼夜行が思い浮かぶが、それと室町時代以降の百鬼夜行絵巻とは直接の関連はない。今昔物語の中の百鬼は、どちらかといえば人間の幽霊に近いものとしてイメージされるが、それに対して室町時代以降の百鬼夜行絵巻に登場する妖怪たちは、日常の道具類を中心とした物の化け物である。物がなぜ妖怪に変化するのか、その秘密を、室町時代に書かれた「付喪神記」が明かしてくれる。

「付喪神記」というのは、付喪神について語った書であるが、その付喪神というのは、使い古されて捨てられた道具が、神あるいは妖怪になったものと考えられている。「付喪神記」にはそんなことを記した次のような文章が見られる。「煤払ひとて、洛中洛外の在家より取りいだして捨てたる古道具ども、一所に寄りあひて評定しけるは、さてもわれ等、多年、家々の家具となりて、奉公の忠節をつくしたるに、させる恩賞こそなからめ、あまつさへ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかかること、恨みのなかの恨みにあらずや。詮ずるところ、いかにもして妖物ともなりて、各々仇を報じ給へ」

この文章からもわかるとおり、付喪神とは使い古されて捨てられた道具類が、恨みのあまりに妖物となったもので、その付喪神の行列するさまを描いたものが、室町時代以降の「百鬼夜行絵巻」なのである。

様々なヴァージョンが伝わっているが、最も有名なのは、京都大徳寺の塔頭真珠庵に伝わる、通称真珠庵本といわれるものである。これは土佐派の絵師土佐光信が、室町時代の半ば過ぎに作ったと伝えられているが、確証はない。また、現存するものの中で最も古いわけでもない。しかし、絵の印象が非常に生き生きとしていて、また、当時の人びとの感性を彷彿とさせることもあって、現存する百鬼夜行絵巻の中では最も優れたものと評価されている。

百鬼夜行絵巻のもっともありふれたパターンは、百鬼と呼ばれる物の妖怪たちが、行列を作って進んでいくところを描いたものである。それらの妖怪たちは、道具を収めた駕籠の中から現われて、あたりを行列したあと、朝日の昇るのに合わせて消えていくという構成になっている。妖怪は夜明け近くに現われて、夜明けとともに消えていくというのが、当時の日本人の了解だったのである。

百鬼夜行絵巻には、詞書はないのが普通である。前述した「付喪神記」には、絵解きのようなものはあるが、それは絵巻物としての体裁はとってはいない。真珠庵本もまた、絵だけで、詞書は付されていない。したがって我々は、自分でその言葉となるものを補わねばならない。ここでは、そんな真珠庵本の百鬼夜行絵巻を取り上げて、言葉を補いながら、絵解きをしていきたいと思う。

なお、上の絵は、真珠庵本の冒頭の部分。青鬼が矛を担いで走り出すところを描く。青鬼は、日本の妖怪のなかで、もっとも伝統的な風格を感じさせる。その青鬼が、これも日本の道具類の中でもっとも格式の高い矛を担いでいる。矛は、その格式の高さにかかわらず、時代の流れとともに価値を貶められ、いまではただの古道具に成り下がってしまった。したがって、青鬼と矛の組合わせは、百鬼夜行絵巻の冒頭を飾るのにふさわしいのである。


百鬼夜行絵巻1(赤鬼ほか)

百鬼夜行絵巻2(琵琶の妖怪ほか)


百鬼夜行絵巻3(紺布、麒麟の妖怪)

百鬼夜行絵巻4(醜女と狐女)

百鬼夜行絵巻5(鍋、釜の妖怪)

百鬼夜行絵巻6(妖怪がつまった葛籠)

百鬼夜行絵巻7(朝日から逃げる妖怪たち)




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