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鶴下絵三十六歌仙和歌巻:宗達と光悦のコラボ




宗達は若年の頃、本阿弥光悦とのコラボレーションからいくつもの傑作を生みだした。光悦は、宗達とほぼ同年齢と推測されるが、その多面的な才能によって、慶長期から徳川時代初期にかけての日本の美術をリードした巨匠である。その光悦と宗達は遠いながらも親戚の間柄で、それが機縁となって両者のコラボレーションが実現したという見方もあるが、必ずしも確証があるわけではない。わかっていることは、宗達の描いた下絵の上に、光悦が書を載せ、両者が相まって、独特の美的世界を演出したということである。光悦の才能は書に限られるわけではなかったが、書においては当時の日本を代表する書家であり、それにユニークな絵師であった宗達が協力することで、前代未聞の新しい美的境地が開発されたと言える。

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は、慶長十五年ころにおける、宗達と光悦のコラボレーションの成果である。宗達が、金銀泥でもって鶴のイメージを描き、その上に光悦が墨でもって、三十六歌仙の歌を書き加えている。どちらが主導権をとったものかはわからない、ただ両者の持ち味が溶け合って、たぐいまれな美的世界が実現されていることを知ればよい。

この絵巻は、全長が十四メートルにも及ぶ大作で、その中に三十六歌仙の歌と、鶴の絵柄が描かれている。鶴の絵は、胴体を銀泥で描き、両脚を金泥で描いている。そして、絵の間に生じた空白を巧みに使って、光悦が三十六歌仙の歌を書き加えている。

上は、鶴の群が下降する様子を描いたもの。画面中央からやや右寄りに、中納言敦忠の次の歌が書かれている。
  身にしみて思ふ心のとしふればつひに色にも出ぬべきかな



これは上とは逆に、鶴の群が上昇する様子を描いたもの。中央から左手にかけて、山辺赤人の次の歌が書かれている。
  あすよりは春菜摘まむとしめし野に昨日も今日も雪はふりつつ

三十六歌仙の歌を、それぞれ歌い手の肖像を添えながら紹介する絵巻は、古くから作られていたが、宗達と光悦のコラボレーションになるこの絵巻は、最高の美的価値を誇るものと言ってよい。これほどの傑作が発掘されたのは戦後のことというから、感慨深いものを感じる。

(紙本金銀泥絵 34×1460㎝ 京都国立博物館 重文)





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