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唐獅子図:宗達の養源院杉戸絵




養源院は、三十三間堂に隣接する浄土真宗の寺院。秀吉の側室淀殿の祈願で、淀君の父浅井長政を供養するために、文禄三年(1594)に創建された。その後元和五年(1619)に焼失したが、同七年(1621)に淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が再興した。その際に、現在の本堂で、当時の客殿にあたる建物の内部に、狩野派と宗達による襖絵等が描かれた。狩野派は、徳川家に縁のある画師であるから、養源院の装飾に加わるのは自然であるが、一介の町絵師にすぎなかった宗達がなぜこのプロジェクトに参加できたか。いろいろな憶測がなされている。

もっとも有力な説は、尾形光琳の祖父雁金屋宗伯が宗達を推薦したというものである。宗伯は、淀君や秀忠夫人崇源院の引き立てを受け、呉服を収めたりしていた。また宗伯は本阿弥光悦の甥にあたることもあって、宗達とは顔なじみの間柄だった。その宗伯が、宗達を浅井家ゆかりの人々に紹介したことは十分に考えられる。ともあれこの仕事は、それまで一介の町絵師にすぎなかった宗達にとって、日本の上流社会に認められるうえで、大きなきっかけとなったはずだ。

宗達が養源院のためにした仕事は、客室を飾る二十面の襖絵と、廊下の両端にある四面の杉戸絵である。このうち、現存しているのは、十二面の襖絵と、四面の杉戸絵だ。

杉戸絵は、玄関を入ってすぐ手前の廊下の西端と、その廊下の先端にあたる東端に、それぞれ二面づつ描かれている。上は、廊下西端の杉戸絵「唐獅子図」である。向かって左側には、逆立ちをしている獅子が、その右側に逆立ちを横目に見ながら、いまにも飛び上がろうとしている獅子の姿が描かれている。獅子の図柄としては非常にユニークな構図であり、そこに宗達の自己主張を読むことができそうだ。



これは、向かって左側の獅子の図。逆立ちをしているようにも見え、また、寝そべっているところを上から俯瞰したようにも見える。右側の獅子図もぞうだが、この図もまた、画面いっぱいに描かれている。

(杉戸着色 各181.0×125.0cm 京都養源院 重文)






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