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半身達磨(一):白隠の禅画




白隠禅画のハイライトは、何と言っても達磨像だ。白隠は夥しい数の達磨像を残した。それらは、他の禅画同様、美術品として描いたのではなく、あくまでも禅画、つまり禅についての自身の境地とか、弟子や信者を導く手段として描いたものだ。偶像を通じて宗教を受容する(神を信じる)ことを禁じたキリスト教やイスラム教とは異なり、仏教には偶像崇拝禁止の強い動機はなかった。むしろ仏像などの偶像を積極的に用いて人々を強化してきた歴史が仏教にはある。禅画もそうした伝統を踏まえているわけであり、日本臨済宗中興の祖といわれる白隠も例外ではなかった。というより白隠こそ、衆生教化に果たす偶像の威力を最もよく理解していた人であった。

達磨は、いうまでもなく禅の開祖である。五世紀の後半にインドから中国へ渡ってきて、禅の修業をする傍ら、その教えを広めていった。禅はこの達磨という歴史上の人物が始めたということから、達磨個人に対する畏敬の念が非常に強い。数ある仏教教派のうちでも、インドや中国で生まれたのち、日本に渡来した時点で特定の教祖と強い結びつきをもっていたのは、禅宗以外にはほとんどないといってよい。祖師といわれる人々が教派にとって特別の意義をもたされるのは、鎌倉期以降の日本の仏教宗派の特徴である。

そんなことから、禅宗においては、古くから開祖としての達磨の肖像が多く描かれてきた。白隠もその伝統を踏まえたものだ。しかし、白隠の場合には、この達磨像を、寺院を飾るシンボルとして描いたというよりは、自分が対面する人々を教化する手段として描いた。したがって、単に達磨像を描くだけではなく、禅の法語などからなる賛を加え、それを特定の人物に贈り物として与えた。それゆえ、白隠の達磨像は非常に多く残っている。

この達磨像は、白隠の最晩年、八十三歳の頃の作品だ。白隠の達磨像は、白地に墨や淡彩で描かれたものが殆どだが、この達磨像は、背景を黒く塗りつぶし、達磨の姿を浮かび上がらせる一方、賛も胡粉を用いて白く浮き上がらせている。本格的な彩色画で、白隠の禅画の中でももっとも強い迫力を感じさせる。賛にある「直指人心、見性成仏」は、「まっすぐ自分の心を見よ、そこに本来そなわっている仏性に目覚めよ」という意味である。この法語を、白隠は他の多くの達磨像にも記している。



これは、達磨の顔の部分を拡大したもの。目玉をぎょろりと上に向けた表情は、他の多くの達磨像と並んで、白隠の自画像だと考えられている。画面が巨大なだけに、近くで見るとすさまじい迫力を感じさせる。

(192.0×112.5cm 大分・万寿寺蔵)






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