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耕便:池大雅十便図




十便十宜図のもととなった李漁の詩「十便十二宜」のシリーズには、全体の序文と言うべきものがある。この小文を大雅は、「耕便」図の右端に掲げており、それに接して、「耕便」の詩文を書き入れている。

伊園主人結廬山麓,杜門掃軌,棄世若遺。有客過而問之曰、子離群索居,靜則靜矣,其如取給未便何。主人對曰、餘受山水自然之利,享花鳥殷勤之奉,其便實多,未能悉數,子何云之左也。客請其目,主人信口答之,不覺成韻

伊園主人廬を山麓に結び,門を杜し軌を掃ひ,世を棄つること遺るが若し。客有り、過りて之に問うて曰く、子の群を離れて居を索むるは,靜かにして則ち靜かならん,其れ取給の未だ便ならざるを如何せんと。主人對へて曰く、餘山水自然之利を受け,花鳥殷勤之奉を享く,其の便なること實に多し,未だ悉く數ふる能はず,子何ぞ之を左也と云ふと。客其の目を請ふ,主人口に信せて之に答へ,覺えず韻を成す

伊園の主人は庵を山麓に結んで、門を閉ざし人付き合いをやめ、世を棄てること忘れ去られた人のようである。ある人が立ち寄って主人に質問して言った、あなたは群を離れて家を求め、静かな中にも静かな暮らしをしている、だが生活には不便でしょう。すると主人は答えて言った、自分は山水自然のすばらしいところを受けて、花鳥殷勤の贈り物を楽しんでいます。この生活の便利なところは数え切れません、なのにあなたは何故そんなことを言うのですか。客がその便利さの詳細を問うと、主人は口にまかせて答えているうち、おのずからそれが詩になったのだった。


耕便の詩は次のとおりである。

  山田十畝傍柴関  山田十畝柴関に傍ふ
  護綠全凴水一灣  綠を護るに全て凴る水一灣
  唱罷午雞農就食  午雞唱ひ罷めば農食に就く
  何勞婦子饁田間  何ぞ勞せん婦子の田間に饁(はこ)ぶを

十畝の山田が柴の門にそって広がっている、それを緑に保つにはひとすくいの水があればよい、鶏が正午の合図をすると野良仕事を止めて家に食事に戻る、わざわざ婦子に運んでもらうこともない

絵は一筋の水の流れの脇に小さな田んぼを配している。背後に林が見えるところから、山田の雰囲気が伝わってくる。







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