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波濤図:円山応挙




天明八年(1788)一月、大火災が京都中を焼きつくし、焼き出された応挙は、故郷亀岡の金剛寺に身を寄せた。その折に、幼い頃に世話になったお礼も込めて、大規模な襖絵を描いて寄贈した。その規模は、寺の主要な三つの部屋のすべての襖に描くというものだった。

そのモチーフは水で、すべての襖が何らかの形で水を表現していた。これは火災で焼き出された人々に対しての、応挙なりの思いやりだったとも言われている。これらの襖絵は、今では二曲一双の屏風と二十八幅の掛け軸に仕立て直されている。

この図柄は、二曲一双の図屏風のもので、岩にほとばしる水と、その上を飛ぶ白鷺を描いている。



これは白鷺の部分を拡大したもの。白鷺はいまにも岩に飛び降りようとしているが、水の勢いにためらっているように見える。

(天明八年<1788> 紙本墨画淡彩 各176.5×182.0㎝ 金剛寺 重文)





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