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保津川図屏風:円山応挙




「保津川図屏風」は寛政七年というから、応挙が死んだ年に描いたもの。応挙の絶筆というべき作品だ。応挙はこの前年に三井家の注文で瀑布図を描いているが、この図はその延長上にあるもの。やはり保津川の瀑布とその先の水の流れをモチーフにしている。そのことから応挙を瀑布の画家とする呼び方もある。

上は、八曲一双のうちの左隻。水の流れは、左手の小瀑布から落ちて右方向へ勢いよく流れてゆく。岸辺の松の枝が傾いているのは、風が強いからだろう。



これは右隻。絵の構図が前年の「瀑布図」とよく似ている。右手の幕府から流れ落ちた水が、左手に向かって勢いよく流れている。左右両隻を併せ見ると、水は中央部分で合流し、別の流れをつくるように思われる。

(寛政七年<1795> 紙本着色 各154.5×483cm 八曲一双 重文)





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