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久米仙人図屏風:曽我蕭白の世界 |
ボストン美術館蔵の「久米仙人図屏風」は、現存する曽我蕭白の作品として作成年代が特定できる最古のもの。画中の落款に「平安散人曽我蕭白藤原暉雄行三十歳図之」とあることから、宝暦九年(1759)満二十九歳の時の作品である。暉雄は蕭白の本名だが、藤原にはたいした根拠はない。ただ、平安は京都を意味しているので、自分を京都の出身と主張していることは間違いない。 久米仙人とは、大和久米寺の開祖とされる伝説上の人物。「扶桑略記」など仏教関係書のほか、「今昔物語」や「徒然草」にも出てくる。日頃大和の竜門寺を根拠にして、空中を遊泳するのが趣味だったが、ある日、久米川のほとりで洗濯している若い女のふくらはぎを見て欲情し、神通力を失ったという。その後久米仙人は、その若い女と夫婦になったそうだ。 図柄は、久米仙人と思われる老人が、若い女の姿に見とれるところを描いている。女はふくらはぎをあらわにして、脚を川の流れに浸し、それを老人がじっと見つめている。老人がいるところは、根拠地たる竜門寺の一隅だろう。 背景や中景の木の描き方に、写生を無視した独特の想像力を感じさせる。蕭白は若干にして自分独自の画境を確立していたのである。 これは、老人の部分を拡大したもの。老人の背後にある衝立には、「平安散人」以下の落款が書かれている。 (1759年 紙本墨画金泥 156.1×363.8cm ボストン美術館) |
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