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渡辺崋山の絵画世界




渡辺崋山といえば、蛮社の獄で政治的な弾圧を受け、それがもとで自殺に追い込まれた不幸な学者として、また、日本の近代化の先駆者といったイメージが強い。たしかに崋山は、政治的な人間としての側面が強かったが、また画家としてもユニークな業績をあげた。崋山が自殺したのは天保十二年のことであり、日本はまだ本格的な開国への動きは見せていなかったが、崋山は諸外国の動きを、蘭学を通じて認識し、かれなりの危機意識をもっていた。その危機意識が蛮社の獄を招き寄せたのだといえる面もある。

蛮社の獄自体は、政治的な弾圧事件というよりは、鳥居耀蔵という特異な人間が引き起こしたイレギュラーな事件だとの評価が強い。鳥居耀蔵は、日本の歴史上もっとも醜悪な人間であって、さまざまな陰謀事件を起こしているが、そのなかで蛮社の獄と呼ばれる事件は、江川太郎左衛門に対する鳥居の個人的な意趣晴らしだった面が強い。中には、鳥居と江川の仲がよかったことを引き合いに出して、鳥居の江川に対する悪意を否定する見方もあるようだが、当の江川が鳥居を嫌悪していたという証言もあるようである。いずれにしても、崋山は鳥居の陰謀に巻き込まれたのであって、幕府が意識的に崋山を弾圧したということではなかったようだ。じっさい崋山は、せいぜい蟄居処分で済んでいるのであって、かれが自殺した理由は、直接には蛮社の獄にかかわるものではなかった。

崋山は、そんなわけで、徳川時代にはあまり注目されることもなかったが、維新以降は、道徳の教科書に取り上げられたり、一躍時代のヒーローのような扱われ方をされもした。そのことで、崋山を俗物呼ばわりするものもいたが、崋山自体の意思とは関係のないことなので、崋山としては、そういう呼ばわれ方には、苦笑を以て応えるほかないのではないか。

画家としての崋山は、武士の副業として絵を描き始め、それが時代の趣味にあって、けっこう人気のある画家だった。その人気の秘密は、かれの画風の斬新さにある。南画的な画風から出発しながら、西洋流の写実を取り入れ、独特の画風を確立した。西洋画の影響といっても、司馬江漢のようなストレートなものではなく、あくまでも日本画の伝統を踏まえながら、それに洋風の味を加えたといった趣であった。そういう雰囲気の絵が、時代の好みにあったということか。

崋山は三河の田原藩の大名三宅家の家臣であって、主に江戸詰めの暮しをした。父親は決して低い身分ではなかったが、家は貧しかった。崋山は、その貧しい家計を支える目的で、絵を描いて売るという行為に出たのである。だから職業的な画家を目指したかといえば、そうではない、崋山の正規の職業は田原藩の藩士である。じっさい崋山は田原藩のためにさまざまな貢献をしているのである。

崋山の画業といえば、鷹見泉石像をはじめ、肖像画が有名である。じっさい崋山の傑作と目される作品は、国宝になった泉石像を始め肖像画が多い。その特徴は、人物の表情をリアルにとらえていることだ。その絵を見ると、モデルの人間性が如実に伝わって来る。たとえば、蛮社の獄に際して、弟子の崋山を擁護した松崎慊堂は温和な表情に描かれる一方、同じく師でありながら弟子の崋山のためには知らぬふりを決め込んだ佐藤一斎は、狡猾な表情に描かれているといった具合だ。

崋山は、若い頃から南画風の風景画も描いていたが、晩年には、西洋風の遠近法なども取り入れながら、積極的に風景を描く一方、身近な動物や植物などの写生にも励んだ。それらを見ると、崋山の暖かい人柄が伝わって来る。ここではそんな崋山の代表的な作品を取りあげ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。(絵は椿椿山筆崋山像)




蘆汀双鴨図:渡辺崋山の絵画世界
一掃百態:渡辺崋山の絵画世界
人物愛虎図:渡辺崋山の絵画世界
坪内老大人像稿本:渡辺崋山の絵画世界
佐藤一斎像:渡辺崋山の絵画世界
白鵞遊魚図:渡辺崋山の絵画世界
四州真景図:渡辺崋山の絵画世界
松崎慊堂像:渡辺崋山の絵画世界
滝沢琴嶺像:渡辺崋山の絵画世界
鷹見泉石像:渡辺崋山の絵画世界
市河米庵像:渡辺崋山の絵画世界
渓澗野雉図:渡辺崋山の絵画世界
校書図:渡辺崋山の絵画世界
孔子像:渡辺崋山の絵画世界
渓山細雨図:渡辺崋山の絵画世界
鸕鷀捉魚図:渡辺崋山の絵画世界
海錯図:渡辺崋山の絵画世界
千山万水図:渡辺崋山の絵画世界
月下鳴機図:渡辺崋山の絵画世界
蟲魚帖:渡辺崋山の絵画世界
黄粱一炊図:渡辺崋山の絶筆




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