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佐藤一斎像:渡辺崋山の絵画世界




佐藤一斎像は、崋山の若い頃の肖像画を代表する作品。細緻な描写に努める一方、陰影を表現するなど、後年の肖像画の傑作に共通する特徴が見られる。

佐藤一斎は、林述斎の門弟であり、林家の高弟として昌平坂学問所の幹部となっていた。崋山は18歳の時に昌平坂学問所に入り、一斎から教えを受けた。以後終生にわたって弟子としての礼儀を尽くしたが、崋山が蛮社の獄で窮地に陥ったときに、一斎は救助の手を差し伸べることはしなかった。同じく学問所の師であった松崎慊堂が、身を賭して崋山を守ろうとしたのとは対照的であった。

崋山の周囲では、林家の高弟であり、幕府にも一定の影響力を持つ佐藤一斎に救助の手助けを願おうという動きもあったが、崋山は次のように言ってたしなめた。
「一斎とは親子の如く御座候筋に付、一向頼不申も如何に付、程能松岡(田原藩士)へなり御教示可被下候」
この文章は、意味深なところがあるが、要するに一斎は自分のことで動くような人物ではないと、言っているようである。

後世になって崋山の名声が上がるに反比例して、一斎の名声は地に落ちていったが、それには一斎の薄情さが大いに働いたようである。じっさいこの絵を見ると、一斎はあまり人間的なところを感じさせない。崋山はそうした一斎の薄情さを十分にわかったうえで、師の一斎を描いたのだと思う。

(文政四年 絹本着色 80.7×50.2㎝ 東京国立博物館 重文)





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