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鷹見泉石像:渡辺崋山の絵画世界





「鷹見泉石像」は、崋山肖像画の最高傑作である。この肖像画を崋山は、天保八年に描いたと款に記したが、考証の結果異論が出されている。その時期泉石は大阪に住んでいた。また画中に描かれている脇差に藩主の門がついており、その脇差が付与された時期などから、天保十二年の作である可能性が強いという指摘がある。

鷹見泉石は、崋山が少年時代に師事した鷹見星阜とは、親族関係はないようだ。古河藩の家老で、崋山とは蘭学仲間だった。崋山は、天保八年頃から尚歯会という蘭学研究グループに参加していた。これにはほかに高野長英とか江川英龍といった人物も関わっていた。議論は直前に起きた天保飢饉対策などだったという。この会は後に鳥居耀蔵の憎むところとなり、そこから蛮社の獄へと発展していった。

泉石は、古河藩の家老として、幕政にも関心をよせ、海外事情にも明るかったといわれる。この肖像画がどのようないきさつから描かれたか明らかではないが、日頃親しくしていた崋山に依頼したことは考えられる。それにしても、制作時期が確定しないのでは、これがどういう事情の下で描かれたか、それも詳しくは言えない。

この絵は、西洋絵画の技法も取り入れ、きわめて写実的な作品だといわれる。しかし、天保八年に描かれたのであれば、本人は崋山の近くにいなかったわけだし、天保十二年だとしたら、崋山は田原に蟄居していた。

(天保八年or 天保十二年 絹本着色 116×58㎝ 東京国立博物館 国宝)





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