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鸕鷀捉魚図:渡辺崋山の絵画世界 |
渡辺崋山が蛮社の獄に巻き込まれたのは天保十年のこと。その年の5月に逮捕・拘禁され、取り調べを経て、年末の12月にお裁きが下った。仲間の高野長英が禁固刑を食らったのに対して、崋山は田原藩あずかりのうえ蟄居という比較的軽い刑で済んだ。翌年の正月、崋山は田原に赴き、そこで藩が用意した家屋に住んで蟄居するという形をとった。 蛮社の獄については、幕府の洋学不信がもたらしたものだとか、色々な説が行われてきたが、基本的には、目付鳥居耀蔵の私怨から生じたというのが実態だ。徳川時代に生れた悪党のなかでもっともたちの悪い悪党である鳥居が、同輩の江川太郎左衛門に意趣を抱き、それを晴らすために江川とその周囲の人物を陥れたということだ。大物の江川は、鳥居の毒牙から逃れたが、小物の崋山は制裁を食らわされたのである。 崋山は、場合によっては死罪になることも覚悟していたが、思いがけず軽い刑で済んだ。その影には、師松崎慊堂の働きがあった。慊堂は、崋山の無罪を理路整然と主張した手紙を老中水野に送り付け、これに水野が動かされたということらしい。 田原に蟄居した崋山は、蟄居後二年足らずで自害してしまう。その短い晩年を崋山は、好きな絵を描いて過ごしたようだ。 「鸕鷀捉魚図」と題するこの絵は、蟄居した年に描いたもの。モチーフは、魚をくわえた鵜と、それを樹上から見下げるカワセミである。この絵には、寓意が込められていると解釈するものがある。それによれば、魚をくわえた鵜は崋山自身で、樹上のカワセミは鳥居耀蔵だという。魚をとって有頂天になっている鵜を、カワセミが樹上から窺っているのは、何も知らない崋山が、鳥居耀蔵に目を付けられているということらしいが、深読みが過ぎるかもしれない。 (天保十一年 絹本墨画淡彩 110.3×42.1㎝ 出光美術館) |
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