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山下町日比谷外さくら田、永代橋佃しま:広重の名所江戸百景



(3景 山下町日比谷外さくら田)

外桜田とは、日比谷門から半蔵門にかけての内堀の外側一帯をさしていった。今日でいえば、国会や裁判所を始め、日本の中枢機能が集中しているところ。徳川時代には、大名や大身の旗本の屋敷が集まっていた。

山下町とはいま帝国ホテルの立っているあたり。そこから桜田門方向を眺めたのが、この図柄だ。鴨の浮かんでいる堀の先に見えるのは、肥前佐賀藩の上屋敷。その遥か背後に雪をかぶった富士が見える。

手前には羽子板がのぞいているが、その上部には追羽根が空中を遊んでいるのが見える。また、ところどころにタコがあがっている。一番手前のタコは、奴ダコだ。


(4景 永代橋佃しま)

永代橋は日本橋の箱崎と深川の佐賀町を結ぶ橋で、元禄十一年に完成した。隅田川の最下流にあり、いまでも(勝鬨橋をのぞけば)隅田川第一橋梁ということになっている。また、佃島は永代橋の先にあった干潟を埋め立ててできた人口島。摂津の佃村から呼び寄せられた漁民が住み着いた。彼らはこの島を、故郷の村にちなんで佃島と呼んだのである。

これは、永代橋の下から佃島方面を望んだ景色。舟が見えるのは白魚漁の舟。白魚漁は夜間にかがり火をたき、寄って来た白魚を四手網を使ってかき集めた。上弦の月の頃合い、薄明かりの下で漁船の一団が漁に励み、左手前の漁船からはかがり火が掲げられている。

佃島周辺の白魚漁は江戸の風物となった。歌舞伎「三人吉三」にも、「月も朧に白魚の、かがりも霞む春の空」とあるが、この絵は、その台詞どおりの眺めを描いているわけである。





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