日 本 の 美 術
HOMEブログ本館日本文化美術批評東京を描く水彩画 | プロフィール掲示板



芝愛宕山、広尾ふる川:広重の名所江戸百景



(21景 芝愛宕山)

芝愛宕山は、かつてはNHKの放送センターがあったところ。徳川時代には、愛宕神社で有名だった。愛宕神社は家康が作ったもので、将軍地蔵を祭っている。その祭礼は出世の石段のぼりと言って、神輿が急な石段を上がっていくことで知られている。

愛宕山の標高はわずか26メートルではあるが、徳川時代には江戸湾までよく見渡せたという。この絵は、愛宕山の頂上から、江戸の市街とその先に広がる江戸湾の眺めを描いたもの。

描かれている人物は、正月三日に行われた強飯式に従事する人。毘沙門天の使いと称する人が、正月の飾り物で作った兜をかぶり、すりこ木の太刀と大きな杓子を持っている。


(22景 広尾ふる川)

古川は、玉川上水の余水を流したものである。内藤新宿から分岐し、渋谷を経て麻布を南下した。渋谷あたりでは渋谷川と呼ばれ、麻布あたりでは古川とか赤羽川などと呼ばれた。古川が流れる麻布のあたりを広尾といった。

この絵は、麻布天現寺橋を描いたもの。正面に夕日が見えるところから、橋の東側から西の方向を見ていることがわかる。とすれば天現寺は画面手前にあることになる。また、画面左手に茶屋が立っているところは、いまの広尾病院があるあたりである。

一面の野原といった雰囲気だが、このあたりでは将軍が鷹狩をしていた。この絵が描かれた徳川時代末期には、江戸の庶民の行楽地となっていた。土筆がとれることから、土筆が原と呼ばれた。





HOME 広重江戸百景 次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2020
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである