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蒲田の梅園、品川御殿やま:広重の名所江戸百景



(27景 蒲田の梅園)

蒲田は梅作りに向いた土壌を生かして、多くの梅園があった。鑑賞用ではなく、梅干しが目的の白梅が栽培されていたが、花の盛りの時期には、近隣のみならず、各地から大勢の人々が訪れた。東海道を行く旅人や、参勤交代の大名行列も立ち寄ったという。

この絵に描かれた梅園は、山本九三郎の梅園で、蒲田の梅園のなかでは一番人気のあったところ。梅園には池を掘ったり、小屋を建てたりして、花見客を喜ばす工夫がほどこされていた。

手前に籠が見えるが、これは籠に乘って花見にやって来た客が、花見の間待たせているのだろう。


(28景 品川御殿やま)

品川の御殿山は、徳川時代までは海のすぐ近くにせり出していた。家康が、淀君を人質にする目的で御殿をたてたことから御殿山と呼ばれるようになった。御殿そのものは焼失したが、山の名前はそのまま残っているわけだ。

八代将軍吉宗がここに沢山の桜の木を植えさせ、文化文政の頃は花見の名所になっていた。花見をしながら眼下の景色を楽しむのは、さぞ気の利いた行楽だったろう。実は、広重がこの絵を描いた時には、御殿山はかつてのような姿を失っていた。幕府が海防の目的でお台場を築くために、この山を削って土を運び去ってしまったからである。広重は、かつての記憶にしたがってこれを描いたといわれる。

手前に見えるのは目黒川の河口近く。河口周辺は漁師町になっていたが、この絵では省かれている。





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