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市ヶ谷八幡、玉川堤の花:広重の名所江戸百景



(41景 市ヶ谷八幡)

市ヶ谷八幡神社は、いまの市ヶ谷駅の北西、小高い台地の上にある。文明八年(1476)、太田道灌が江戸の鎮守として、鎌倉の鶴ケ丘八幡宮を勧請して作った。もとは市ヶ谷御門の内側にあったが、寛永年間に現在地に移された。丘の上にあることもあって、鶴ケ丘八幡にちなんで亀ヶ丘八幡と呼ばれるようになった。

この絵は、市ヶ谷御門の内側から八幡神社を眺め上げた構図。右手前にあるのが市ヶ谷御門にさしかかる橋である。神社の建物は、丘の上にそびえるように描かれている。途中に霞みをかけているので、神社ははるか遠くにあるような印象を与える。実際に見ると、すぐそこにあるように見えるはずだ。

神社の門前には町屋が立ち並んでいるが、当時この辺りには水茶屋が櫛比し、江戸市内有数の歓楽地になっていた。


(42景 玉川堤の花)

玉川上水は羽村で多摩川本流から分かれ、その先端部は内藤新宿に達していた。いま新宿通りになっているところが、玉川上水の先端部だ。そこからいくつかの流となって、江戸市中に水を配給していた。

この絵は、内藤新宿あたりの玉川堤を描いたもの。右手に見えるのが内藤新宿の家並みである。玉川の南側には桜の並木が植えられ、満開になった花を大勢の人々が訪れている。

内藤新宿は、甲州街道最初の宿場。信州高遠藩内藤家の中屋敷があったことから、内藤新宿と呼ばれた。江戸有数の歓楽地の一つでもあった。いまではゲイタウンとして知られている。





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