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亀戸天神境内、五百羅漢さざゐ堂:広重の名所江戸百景



(65景 亀戸天神境内)

亀戸天神は、正保三年(1646)に太宰府天満宮から勧請したのが始まりというから、比較的新しい。太宰府天満宮を模した社殿とか、心字池や太鼓橋を配し、東の大宰府などと呼ばれた。境内には、天神のシンボル梅のほか、藤が植えられ、そちらのほうが人気を博した。毎年初夏に藤が咲くと、大勢の人々が花見に訪れた。かの正岡子規も病身に鞭うって藤見物に来た。

これは心字池の手前から太鼓橋を眺めた構図。いまでは、たしか赤く塗られているはずだが、この当時には生地のままだったのだろう。

手前には、例の通り、藤の花が大きく描かれ、池の向こう側には、花見を楽しむ人々の姿が描かれている。クロード・モネはこの絵に触発されて、自分の家の庭を設計したといわれる。


(66景 五百羅漢さざゐ堂)

五百羅漢寺は江東区の大島にあった黄檗宗の寺。もともと羅漢寺といったが、五百羅漢を並べているところから五百羅漢という名で親しまれた。その境内の一角に三層の建物があって、らせん階段を上る構造から、その形にちなんでサザエ堂と呼ばれた。

この絵は、サザエ堂越しに周囲の風景を望んだ構図。大島は、いまではマンションが立ち並んでいるが、徳川時代にはこのように、一面の広野だったようだ。

五百羅漢サザエ堂は、北斎も富岳三十六景シリーズの一点としてとりあげている。北斎のものは、サザエ堂から見える富士がモチーフだが、実際サザエ堂の上からは富士がよく見えたそうだ。





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